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4999年4月1日 20:09
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

 警視総監執務室に呼ばれたラマン秘書官とデニム達3人は、応接用のテーブルの上に広げられたデスリム・フォン・ラプラスからの手紙に見入っていた。帝都を震撼させていた連続女性失踪事件と7番街での殺人事件を結び付け、更に《7番街の楽園》で逮捕された8人の冤罪疑惑に対する一定の解答を示唆したこの文章は、部屋に集められた4人を興奮させるのは十分であった。最初に手紙を受け取ったティヴェンスも、まだ手紙を初めて呼んだ時の衝撃と興奮から冷めていない。
「これをどう見るかね?」ティヴェンスは手紙に目を走らせている4人に声を掛けた。
「素晴らしい……まるで宝の山だ……」サーレントは呟くように言った。
「今度こそ本当の突破口ですね」デニムは顔を上げて言った。「これで、7番街で殺害された犯人が無事に見つかったわけですし、ザールが警視庁の人間を忌諱していた理由も説明できます。突破口となる情報が見つかったのがエブラーナだったことにはびっくりしましたが……ええ、この情報は極めて有望だと思いますよ。ウィアリムさんと一緒に見た水色の光のことが本当だという確証も得られそうですし」
「何のことだね?」警視総監が訊ねた。彼はまだこの事実を知らなかった。
「申し訳ありません。実は、連続女性失踪事件で19人目の被害者が出た時、僕とウィリアム・フローズンさんが、事件の犯行現場を目撃した時に、水色の光が出るところを見たんです」デニムはその後、ウィリアム・フローズン邸正面での戦いについて、ティヴェンスとラマンに簡単な説明を行った。「目撃情報が政治的に危険なものだという判断に至り、ビューロー元警視の命令で情報を隠匿することになりました」
「……できれば、もう少し早い時期に聞きたかった話だな」ティヴェンスは不満げに言った。
「申し訳ありません。どなたも信用なさらないのではないかと思ったもので──」
「そのことはもう良い」ティヴェンスは手を振ってデニムの言葉を遮った。
「しかし、このフォルティア・クロザックの証言を頭から信じても良いのだろうか?」ラマン秘書官はこの情報の信憑性に若干の疑問を抱いていた。「異端審問所送りとなっている人間の言葉だが、まだ詳細が分かっていない。彼女の供述が現場の状況と一致しているのかどうか、その辺の情報が欲しいな。それに、彼女が苦しげ紛れにでまかせを述べたという可能性も排除はできない。特別尋問の時にはそういったことが時々起こるからな」
「それは同感ですね」デニムは頷いた。「でも、この手紙の感じでしたら、ラプラス教授に頼み込んだら協力して頂けそうです」
「ありがたいことだな」ティヴェンスは呟くように言った。
「では、早速通信用クリスタルを用意させますか?」ラマンが訊ねる。
「そうだな。明日中に【召喚魔法ペガサス】を使って異端審問所に届けさせろ」
「分かりました」
「それはそうとして……」セントラーザが訊ねる。「ザール・シュレーダーに対する特別尋問はどうするんです?」
「予定通りにやれ」警視総監は冷たい声で命令を下した。

4999年4月1日 22:01
シルクス帝国首都シルクス、帝城、皇帝ゲイリー1世の居間

 「エブラーナの異端審問所でタンカードとバソリーの両神殿の司教が乱闘を起こし、機関全体が機能不全に陥った」──シルクス帝国の宗教界を震撼させるこの情報は、シルクス帝国の政府上層部を嵐のように駆け抜け、後に大混乱と鋭い対立を残していった。異端審問に最も積極的に関与していた2大宗派が、いずれもシルクス帝国の皇室に属していたことが混乱を更に広げていた。帝城の内外では、同じ神殿に属する聖職者達が輪を作り、また別の場所では、親しい間柄にあった両派の神官が顔を合わせ、この異常事態の原因とその後の展開を話し合っていたが、何ら有益な推論が得られることは無かった。彼らの出した結論は、どの場所においても、誰が話し合ったとしても、全く同一であった。それは、シルクス皇帝ゲイリー1世の家族会議で全てが決まるということである。
 その家族会議は、シルクスに事件の第1報がもたらされてから6時間が経過した午後10時から、皇帝ゲイリー・フォルト・テンペスタの住まう帝城の一角で行われた。煌々と輝くマジックアイテムのシャンデリアの下で、毛織物の絨毯の上に直に座り、シルクス帝国で産出される高級茶葉を使用した紅茶をすすりながら行われる会議の中で、皇帝とその家族達は、シルクス帝国の宗教政策を根底から揺るがしかねない大問題への解決策を是が非でも見出さねばならなかった。
「父上、エブラーナはどういう状況なのです?」シルクス帝国初代皇帝ゲイリー・フォルト・テンペスタは、紫色の瞳を父親に向けた。「包み隠さず、正確なところを話して頂けませんか?」
 昨年のルテナエア事件では、ゲイリーは西リマリック帝国軍の将軍として戦いに参加し、悪魔達による侵攻が続く中で勝利し続け、南へ派兵したテンバーン王国に対する逆侵攻にも成功した輝かしい実績を持っている。それが認められ、昨年9月に若干25歳で皇帝の地位を奪い取った。皇帝即位──シルクス帝国建国後は、彼は政治家としても卓越した手腕を発揮し、ルテナエア事件で荒廃した国土の復興に全力を注いでいた。そんな矢先に発生した異端審問所での内紛は、皇帝としては決して看破し得ないものであった。荒廃から復興する為の精神的支柱の1つに、テンペスタ及びルディス家の守り神として知られる両竜神を選び、そして両竜神の神殿網に中央政府や封建領主の行政組織を補完させていた現在、この2つの神殿が相争うような事態はできる限り避けねばならないと考えていたのである。
「詳しい話は良く知らんな。『バソリー神殿の司教から罪人呼ばわりされ、それが内紛の原因となった』としか聞かされていない」タンカード神殿最高司祭ジョン・フォルト・テンペスタは、息子の質問に首を横に振った。
「母上のほうはどうなのです?」
「もう少し詳しい話は伺っています」ステファナ・ルディス・テンペスタは頷いた。「《7番街の楽園》で逮捕されてしまったフォルティア・クロザックさんが、帝都での連続女性失踪事件の犯人達の一部を殺したと話したのです。その時に、彼女が『犯人達が神聖魔法を使っていた』という証言をして、それを聞いたうちの司教が……」ステファナは言葉を濁らせた。
「何と言ったんです? 続きをお願いできますか?」ゲイリーは先を促した。
「ええ……彼がこう言ったんです。『タンカード神殿の聖職者が犯人じゃないか』って……」
「我々の司教達が怒るのも当然だな」ジョンはそう言ってティーカップを口に運んだ。「根拠も無いのに犯人呼ばわりされたのだぞ。我が神殿の教えには『聖人君子たれ』とは一言も書かれてないからな、口や拳が出るのも時間の問題かも知れぬぞ」
「じゃあ、あなた。うちの司教達の言い分は一体どうなんです? 否定できるんですか?」ステファナが夫に訊ねた。「場所や状況をわきまえぬ言動があったことは私達の非かもしれませんけどね、それでも、彼らの言い分が理に適っているという事実も存在するんですよ」
 ジョンはティーカップを置いてから言った。「では、その言い分を聞かせてくれ」
「ええ。いいでしょう」ステファナはミルクティーを一口飲んでから説明した。「はっきりと言えば、連続女性失踪事件の犯人の中にタンカード神殿の人間がいて、その神殿関係者を目撃したフォルティア・クロザックさんを消す為に、タンカード神殿が《7番街の楽園》での逮捕劇を仕組んだ、ということなんです」ジョンの顔は怒りで紅潮しつつあったが、ステファナは構わず説明を続けた。「そして、もっとはっきり言ってしまいますが、あなたも疑われているんです」
「ちょっと待て!」ジョンは我慢できなくなり大声を上げた。「そんな馬鹿な話があるか!」
「では、否定なさるんですか?」ゲイリーが訊ねた。
「そうだ! 当然だ! そもそも、冤罪だという話が間違っているだろう! エブラーナからの連絡では、異端者として逮捕された8人のうち2人が、自分がナディール教徒であることを認めているんだ!」
「父上、声が大きいですよ」ゲイリーが注意した。
「これはすまん。……とにかく、我がタンカード神殿としては、この8人が異端者であるという確固とした情報が得られたからこそ、シルクス警視庁に対して摘発要請を出したのだぞ。それを『タンカード神殿が仕組んだ芝居だ』と言われたら、信者ならば誰だって我慢できんだろう? それに、神官達がタンカード様の教えに従い、秩序ある生活を送っていることを、わしは堅く信じておる」
「父上の今の御言葉、信用してもよろしいのですね? 私はその父上の言葉を信じて、《7番街の楽園》の8人に対する逮捕状執行を支持したのですから」
「もちろんだとも」ジョンは自信満々といった表情で頷いた。「……それに、言いにくいことだが、今回の《7番街の楽園》に関する冤罪疑惑問題では、我が神殿の過激派の中からは『これは改革派と警視庁がバソリー神殿を巻き込んで打った猿芝居だ』という声も上がっているのだぞ。その返答も聞かねばならない」
「義父様、それは絶対にありません」今まで沈黙を守っていた皇后リュミア・グラディア・テンペスタが口を開いた。
「自派の保身の為に言葉を仰るのではないな?」ジョンは辛辣な言葉で訊ねた。
「もちろんですとも」リュミアの返答には嘘が混じっていた。
 初代シルクス皇帝の若き伴侶は、シルクス帝国を守護する2体の竜神を信仰せず、封建領主よりもリマリック帝国大学出身者を厚遇する、改革派政治家の筆頭格として世間一般に認知されていた。そして、彼女自身もそのイメージを最大限に利用し、新帝国に相応しい新体制を作り上げる為、夫と並んで日々精力的に政務に精を出していた。だが、魔法至上主義の文化を見直し、封建領主の力を弱めて中央集権化を進めようとする彼女の政策は、リマリック帝国時代からの封建領主達──この中にはテンペスタ家とルディス家も含まれていた──の抵抗に遭い、遅々として進まなかった。そんな彼女にとって、有力な改革派官僚の筆頭格であるナヴィレント・ティヴェンスと、彼がコントロールする警視庁の存在は極めて重要であり、失うわけにはいかない巨大な牙城の1つでもあった。醜聞と政治疑獄に巻き込まれて、ティヴェンスが警視総監の椅子から追われるような事態だけは絶対に避けねばならなかった。
 無論、今のリュミアの返答に嘘が混じっていることはジョンも承知していたが、嘘をついて外見上の平穏を保つことは、シルクス帝国の政界で政治ゲームを進める上で極めて重要であった。そこで、ジョンは無言で頷くだけの反応を示すことにした。
「仲違いはこの辺で終わらせましょう」ゲイリーはそう言ってリュミアとジョンの顔を見遣った。「父上、リュミア、よろしいですな?」
「ああ。分かった」
「承知したわ」
 2人の返答にとりあえず満足したゲイリーは無言で頷いた。
「でも、異端審問所はどうにかしませんと……」ステファナが言った。
「機能不全に陥っていますからね」ゲイリーが相槌を打った。「7人の裁判官のうち5人が乱闘騒ぎを起こして現在拘禁中、裁判長のグレイブ・ゾーリア司教は辞表をラプラス書記室長とジスラン殿に提出、残る運命神ゾルトスから派遣された司教……ええと誰だ……」
「キャサリン・グリーノック」ジョンが助け舟を出した。
「そう、グリーノック司教の裁判官としての任期は《7番街の楽園》問題の解決まで。エブラーナ盗賊ギルドの話では、彼女は事件解決後の留任を固辞しているそうです。つまり、今回の一連の騒動が解決してしまったら、裁判官7人の椅子は全て空席になるわけです。しかも、ラプラス書記室長は新しい裁判官の任命に難色を示しています」
「どうしてなんでしょう?」ステファナが疑問を口にした。
「それは自明のはずです」リュミアが言った。「乱闘騒ぎの責任を取らせるんでしょう?」
「確かにそうかもしれん。だが、あの男の言うことを認めるわけにはいかん。異端審問所の裁判官を全て空席にすることなど、今の我が国にはできるはずも無いだろう?」ジョンは不満げに言った。「50世紀後半から続くシルクス地方の混乱期に、邪悪神や新興宗教団体、更には危険な政治結社を排除する為に、異端審問所は大きな役割を果たしてきたのだぞ。それは今でも全く変わっておらん。リマリック帝国大学教授ともあろう者が、そのようなことを知らぬはずが無かろう?」
「ええ。そりゃあ、もちろん御存知でしょう」リュミアは不快そうな表情を浮かべて答えた。ジョンの言葉の中に含まれていた帝国大学批判が、彼女の心を逆撫でしたのだ。
「では、どうなさるんです?」ステファナが訊ねた。
「異端審問所の裁判官の件に関しては、両竜神の神殿だけではなく、その他の神殿の代表者から意見を聴取して決定することにしましょう。場合によっては、ラプラス教授をシルクスに召喚して、彼から発言の真意を直接聞き出す必要があるかもしれません。まあ、その辺のことも、神殿関係者からの意見聴取時に相談することにしましょう。とりあえずは、キャサリン・グリーノック司教を異端審問所のトップに据えたままにして、《7番外の楽園》の8人に関する全審理を一時的に中断させましょう。その間に、異端審問所の職員らを動員して、事件の再調査にあたらせましょう。……父上、このように指示して頂けますかな?」
「完璧ではないが、タンカード神殿としては十分に納得できる回答だな」ジョンは頷いた。「分かった。後で伝えよう」
「それからもう1つあります。これは父上と母上にお願いしたいことですが──」皇帝はそう言って両親の顔を見遣った。
「何ですの?」
「《7番街の楽園》で逮捕された8人に関して、異端審問所での調査とは別に、両方の神殿の手で再調査して頂きたいのです。本当に8人は異端者だったのか否か、そして、タンカード神殿内での情報収集活動に問題が見られたのかどうかを」
「ちょっと待て。我がタンカード神殿に手落ちが見られたとでも言うのかね?」
「その可能性があるから、こうしてお願いしているのです」ゲイリーは言った。「もしも、8人の中に冤罪の人間が多数混じっていたとしたら、これはタンカード神殿での情報収集活動に重大な瑕疵が見られたということに他なりません。瑕疵の具体的内容まではここで論じるつもりはありませんが、冤罪に関わっていたというのは不名誉極まりないことでしょう?」
「確かにな」ジョンは頷いた。
「何にせよ、正確な事実を知らないことには事態が打開できないことは疑いようの無い事実です。そのことだけは、関係者全員が肝に命じておいて頂きたいと思います」皇帝の言葉を聞き3人の首が縦に振られた。「では、今日はこれで終わりにしましょう」

4999年4月1日 21:28
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、応接室

「ラプラス書記室長」
 そう言って部屋に現れたのは、8人の告発人を務めていたブルーム・ライアン司祭であった。
「どうですか? 何か分かりましたか?」
「いくつかですがね。7番街での殺人事件を自白したフォルティア・クロザックですが、現場での彼女の行動やその時の状況など、色々詳しいことを教えてくれました」この後、ライアンは3分の時間をかけて、フォルティアから引き出した自供の説明を行った。「今日のところは、特別尋問で受けた疲労が激しかったので、ひとまず地下牢に戻しました」
「それは御苦労様でした」ラプラスは頭を下げた。
「ナディール教団への参加については?」キャサリンが訊ねる。
「拒否し続けています。それだけは頑として首を縦に振ろうとはしません。明日以降の特別尋問の実施を示唆した上で情報を──」
「駄目」キャサリンがライアンの言葉を遮るように強く言った。
「は? 今、何と──」
「8人に対する特別尋問は一時延期にして頂戴。私が指示するまで、特別尋問は行わないこと。よろしいですか?」
「しかし、8人に対する特別尋問は、3月31日に決定──」
「裁判長代理──異端審問所のトップとしての命令です。3月31日に行われた決定は破棄します。従えないのですか?」
「……分かりました。私が他の司祭に伝えておきましょう」
 ライアンは頷くと、新しい異端審問所のトップが下した命令を伝えるべく部屋を後にした。応接室のドアが閉められてから、ラプラスはキャサリンのほうを向いて言った。「キャシー、今の決定はバディル勅令に違反して──」
「同じ勅令の違反者から、そのような言葉が聞けるとは思わなかったわ。あなたが5人の裁判官を拘禁したことも、バディル勅令に書かれていた、異端審問の妨害に対する罪になるはずだわ」
「それは承知している」ラプラスは頷いた。「だが、この決定はエブラーナ盗賊ギルドも支持してくれた。そうでしょう?」
 ラプラスの向かい側で2人の会話を聞いていたジスランは頷いた。「違法かもしれませんが、道義的には間違った行動ではなかったと思いますよ。それは俺が保障します」
「ありがとうございます」
「それにしても、これからどうなるのかしら?」
「事件のことですか?」ジスランが訊ねる。
「いや。異端審問所のことよ」キャサリンは首を横に振った。「この事件が終わって裁判官がいなくなったら、誰も裁判を続けることができなくなるのよ。それに、あなたはシルクスに宛てて出した手紙の中で、タンカードとバソリーの両神殿から新しい裁判官を出すのを自粛するよう求めたじゃないの。それが認められたら本当にどうするつもり?」
「……変えるのさ」ラプラスの声は小さく、同席していた2人には聞き取れなかった。
「『変える』って……何を?」キャサリン・グリーノックが訊ねた。
「この機関──異端審問所をね」
 ラプラスの発言を聞き、キャサリンとジスランは目を丸くした。
「現在の異端審問所を設立する為の根拠となっている法律はバディル勅令──今から200年以上昔に出された法律だ。異端審問所の機構やその運営方法は、その時から全く変わっていないんだ。細かい手直しは何度も行われているけど、手続きの全般にわたって聖職者の圧倒的優位が認められ、一般の法律とは全く異なる司法手続きが定められている基本的な部分は、指1本触れられていない。『金科玉条』とは、まさにこの勅令に対して使われるべき言葉なんだ」
「それをどのように変えるつもりなんです?」ジスランが訊ねた。
「異端審問とそれに関わる手続きを全て効率化するんです。現行法では、各神殿からの告発が無いと警察は動くことはできず、各神殿は捜査機関に自由に口出しすることが可能で、起訴は各神殿が行うことができ、裁判では聖職者が検察官と弁護人と裁判官を全て支配している……。警視庁のような現場の人間から見れば、この中途半端で曖昧な聖俗の関係が気に入らないんですよ。それを簡単にして効率化する為に、この曖昧な関係を再整理し、より効率的な運用が行えるように改善したいんです。幸か不幸か、今回のトラブルが、改革の為の契機になりそうです。この話はラシェイド・サファルダス大学総長にも漏らしていない、秘中の秘のアイデアだったんです。教授を退官する時に、1冊の本としてまとめようとも考えていたのですが……」
「上手くいくのかしら?」
「さあ」キャサリンの質問にラプラスは首を横に振った。「異端審問の効率化を行うとなれば、聖俗の双方から色々な意見が出るだろうし、それが守旧派と改革派の対立を激化しかねない。本来ならば、シルクス帝国が安定してから取り組むべき問題だけどね。理想論を言えば、異端審問所は廃止してしまったほうが良いんだけど」
「……改革派の人達よりも過激ですね」ジスランが感想を述べた。
「自分としては政治的に中立な人間だと自負しているんですが」ラプラスは反論したが、異端審問所の改革案を述べる時とは異なり、その言葉には熱がこもっていなかった。「最も効率的で国家全体の益になる方策だけを認める──それが私の政治的な信条です。異端審問所の問題に関しては、その運営の非効率性が大きな問題となっているんです。宗教学の専門家として、行政法の教授と共同でこのことを調べたこともあり、そのことは十分に知っています。ですが、問題の本質は異端審問所と世俗の捜査機関との関係ではなく、異端審問所という宗教裁判所の存在自体にあるんです。異端者を処罰する為の法律の存在には賛成できますが、異端者に対する処罰は一般の犯罪者と同列で処理できますし、効率性という点から言えばそうするべきなんです。異端者はごく普通の人間であり、軍隊のように特殊な地位を持っているわけではありません。それならば、異端者の為だけに特別裁判所を作る必要性も全く無いはずです。無論、聖職者の方達はそんなことは言わないでしょうし、聖職者の政治的影響力が格段に強い我が国では、そんなことしたくても絶対に不可能でしょう」
「少なくても、ジョン様が御健在のうちは無理だわ」
「それは承知──」
 ラプラスの言葉は、応接室に表れたヨルド・ラフディアスによって中断された。「ラプラス書記室長」
「どうしました?」
「シルクス警視庁から通信用クリスタルが届けられました」副ギルド長はそう言って懐から透明なガラス玉を取り出し、3人が向かい合うテーブルの上に置いた。
「ありがとう」
 ラプラスは目を閉じてから通信用クリスタルに手をかざし、精神を集中させた。数秒後、彼は目を開くと、精神を集中させている時に頭の中に現れた古代語の単語──コマンドワードを唱えた。クリスタルの中に別の部屋の情景が映し出される。
「こちらは異端審問所」ラプラスは通信用クリスタルの中に向かって呼び掛けた。「そちらはシルクス警視庁ですか?」
 ラプラスの呼び掛けから5秒も経たないうちに、クリスタルの中に中年男性の顔が現れた。「私はキロス・ラマン。警視総監付秘書官で、連続女性失踪事件の捜査責任者です。そちらはどなたですか?」
「異端審問所書記室長デスリム・フォン・ラプラス。警視総監閣下と話がしたいのですが?」
「少々お待ち下さい」
 クリスタルの中からキロス・ラマンの姿が消え、初老の男性が現れた。「私が警視総監ナヴィレント・ティヴェンスです」
「初めてお目に掛かります。私はデスリム・フォン・ラプラス。異端審問所書記室長を拝命しております。突然の御手紙、誠に申し訳ありませんでした。どうも、警視庁の職員の方々に御迷惑をかけてしまったようで」
「それは気になさらなくても結構です。あなたから頂いた情報のおかげで、連続女性失踪事件にも突破口が開けそうですからな」
「それに関して、新しい情報が得られていますよ」ラプラスはフォルティア・クロザックの自供をティヴェンスに説明した。
「なるほど……これは凄い」クリスタルに映らない場所でラマン秘書官が感嘆の声を上げた。「現場の情景から殺害方法、その他全ての情報がこちらで得られた事実と一致しています。フォルティア・クロザックの自供は信用して良さそうです」
「どうやらそのようだな」ティヴェンスは同意して頷いた。
「それは良かった。皆様のお役に立てて幸いです。……ところで」ラプラスは温和な表情を崩した。「《7番街の楽園》で逮捕された8人についてですが、我々はそのことのために大混乱に陥っているのです。異端審問所の活動が事実上停止してしまったことは御存知ですね?」
「ええ。それは教授からのお手紙で伺っております」
「その大混乱の遠因となった8人に対する冤罪疑惑ですが、そのうちの2人については冤罪ではない……つまり、彼らが異端者であることが判明しています。彼らは特別尋問無しで自供したのです」
「その話はバソリー神殿経由で伺っています」
「ただし、残りの6人については、冤罪であるか否かがまだはっきりとしていません。そこで、異端審問所としては、警視庁の御協力を得た上で、逮捕された8人に関する証言を全て洗い直したいのです」
「待って下さい。全てですか?」ティヴェンスは眉をひそめた。
「その通り、全てです。冤罪疑惑を掛けられた8人の中に本物の異端者が混じっていた以上、残り6人に対してもその疑いを考慮しなければなりません。エブラーナに住んでいたフォルティア・クロザックに関しては、エブラーナでの捜査には我々も協力できますが、8人に対して証言を行った人物の大半がシルクス在住である以上、シルクスでも調査を行わねばなりません。そして、我々異端審問所には、そこまでの人的余裕は無いのです」
「そこで、我々警視庁にお願いしたわけですか」
「はい」ラプラスは頷いた。
「しかし、我々警視庁は連続女性失踪事件の捜査の為に──」
「それは承知しています」ラプラスは強い調子で言った。「ですが、《7番街の楽園》での冤罪疑惑を最初に言い出したのは警視庁ではありませんか? 表向きには、バソリー神殿が冤罪疑惑に対する再捜査を主張しているのですが、実際には、内務省とシルクス警視庁が冤罪疑惑を発見したが、バディル勅令のために手が出せなくなっているために、止むを得ずバソリー神殿に頼ったんじゃないですか? その辺の事情は、テュッティ・ナフカス通産大臣からのお手紙で大体理解できましたよ」
 クリスタルに映る男は何も言わなかった。ラプラスはこの無言を「肯定」と解釈した。
「それならば、『最初に言い出した』者としての証明責任が当然存在するはずです。今までのシルクス警視庁とバソリー神殿の言い分が違う可能性が明白となった以上、その分の責任は警視庁とバソリー神殿が負ってもらいたいのです。それまでも異端審問所任せにするほど、閣下が無神経な官僚主義者ではないと私は考えておりますが」
「そのことは我々も痛いほど承知しております」非難の混じったラプラスの言葉を聞き、ティヴェンスは顔を曇らせた。「分かりました。そこまでラプラス教授が申されるのでしたら、我々も再調査を行いましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、このことが後になってタンカード神殿からの非難を浴びることになりましたら、あなたの名前を出して釈明せざるを得なくなります。その時にはあなたも不利益を蒙りますが?」
 ラプラスは苦笑いして答えた。「その覚悟がなければ、こんなことは頼みませんよ」
「では、話はまとまりましたな」
「その通りですね。それでは、今日のところはこれで失礼したいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい」ティヴェンスは頷いた。「では、また情報が入りましたら、連絡をお願いします」
「こちらこそ」
 通信用クリスタルの映像が消える。
「上手くいったのかしら?」無言を守っていたキャサリンが口を開いた。
「多分な」ラプラスは通信用クリスタルを懐に入れた。「両竜神の関係者のほうは、ここまで上手くいくとは思えないけどな」
「とりあえず、明日から仕事ですね」ジスランが言った。
「はい。盗賊ギルドの人員で手が空いている方に、エブラーナでの聞き込み調査を行って頂きたいのです。それも、できる限り早く」
「それなら副ギルド長に一任しましょう。この手の調査なら、彼のほうが得意ですから」
 ヨルド・ラフディアスは無言で頷き、盗賊ギルド長の命令を受け取った。

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