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4999年4月2日 14:30
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、特別尋問室

 ザール・ボジェット・フォン・シュレーダーに対する特別尋問は、当初の予定通りに行われることになった。その舞台となる警視庁の特別尋問室は、地下1階の最深部に建設されており、逮捕された犯罪者達からは「拷問部屋」「警視庁地下1階の地獄」と呼ばれ恐れられていた。
 室内の設備はエブラーナ盗賊ギルドの特別尋問室と比較しても劣らないものであった。石作りの頑丈な部屋の広さは10m四方。松明の数も少なく、全体として暗い部屋である。室内の壁には何十本のロープ(1本10m前後)や、数十個の手枷・足枷・首輪、頑丈そうな鉄製の鎖、武器としても使える大型の鞭などがぶら下がっている。また、磔用の十字架や水槽、背中部分が尖っている木製の馬の模型、そしてなぜか水車までが置かれている。室内の一角に置かれている戸棚の中には、医薬品に混じって、融点が低温に設定されている蝋燭が用意されている。
 特別尋問室の中に初めて足を踏み入れたデニム・イングラスは、この部屋に並べられた道具と、部屋自体が帯びている威圧的な空気に圧倒されていた。特別尋問──拷問に関しては、警視庁に入った時の説明会で説明を受けており、無感情に事態を把握できるだけの神経は備わっているものと自分では思っていたのだが、実際には全く異なっていたのである。彼の隣では、セントラーザが好奇心と不安が入り混じった表情を顔に浮かべている。特別尋問室を初めて目の当たりにしたのは、彼女も一緒であった。
 ──こんな道具を使われるのは誰だって嫌だよな……。「警視庁地下1階の地獄」と陰口を叩かれるのも納得できる話だ……。
 特別尋問の犠牲者となるザール・シュレーダーは、十字に組み合わされた角材に磔にされていた。その正面では、ニベル・カルナス警部補と3人の拷問吏達が並び、ザールに対して最後の警告を行おうとしていた。
「最後に訊ねるが」カルナス警部補は険しい表情でザールを見つめていた。「本当に、何も知らないというつもりか? これ以上、嘘を付き通すのなら、今から特別尋問を行わなければならなくなるぞ」
「ああ、そうだ」ザールは敵意丸出しで答えた。「拷問なんて怖くないからな。痛いのだけは昔から慣れているんだ。俺に拷問をしたって時間の無駄だぞ」
 ザールの言葉を聞き、カルナスは残念そうな顔を見せた。「残念だな。お前を助ける最後のチャンスだったというのに、自分の手でそれを捨ててしまうとは……。ならば仕方あるまい。やってしまえ」
 カルナス警部補の背後に控えていた拷問吏達は、懐から鳥の羽らしい物を取り出した。
「……ちょっと待て」ザールの顔から血の気が引いていく。「まさか……」
「その通りだ。痛いのだけが特別尋問ではないのだぞ」
 カルナス警部補は手を振って拷問吏達に合図を送った。
「ま、待て! 来るんじゃない!」
 拷問吏達はザールの足元に寄ると、手に持っていた羽でザールの足の裏を撫で始めた。くすぐり責めの犠牲者となったザールは大声を出して笑い出し、デニムとセントラーザはその様子を唖然としながら見つめていた。
 ──こんな方法もあるとは、初めて聞いたな……。
「しかし、間抜けな光景ね……」セントラーザが呟くように言った。
 彼女の言葉が耳に届いたカルナス警部補は、ザールに背を向けてデニム達に説明した。「一見すると大したことはないのだが、実はかなり激しい特別尋問で、効果のほうも十分に期待できる。今のところ、特別尋問でこの方法を採用しているのは我が国だけらしいがな」
「そうですか……」デニムはただ相槌を打つしかなかった。
「見た目は大したことは無いようなのにぇ……」
「実は苦しいんだな、これが。俺も、子供の頃に兄貴から足の裏をくすぐられる悪戯を受けたことがあるから、ザールの奴が受けている苦しみも痛いほど分かるんだ。だからといって、警官殺しの奴に同情する気は全く無いが」
 約10分後、ザールを笑わせていた拷問吏達の手が一旦止まる。ザールは笑い過ぎのために息を乱していた。顔に浮かんでいたはずの笑みも消失し、今は苦痛と疲労で顔を歪ませている。
「……返事はどうだ?」拷問吏の1人が聞く。「話す気になったかい?」
 ザールは首を横に振った。「ハァハァ……だから……俺は違う……」
「どうします?」別の拷問吏がカルナスのほうを向いた。「続けますか?」
「ああ」
 再び、特別尋問室内に、ザールの悲鳴とも笑い声とも似つかぬ叫び声が響き始めた。この後、拷問吏達が10分ほどザールを笑わせてから2分間休憩するという作業が、延々と何度も繰り返された。だが、この作業が12回繰り返された後になっても、ザールは自供せずに口を堅く閉ざしたままであった。
「ほう……なかなか頑張ったな」拷問吏の1人が冷たい声で言った。「明日もやるぞ」
「あ、明日もか……?」ザールは息苦しそうに訊ねた。
「その通りだ。お前が全て話さないのが悪いのだからな。今、ここで話したら、明日以降の特別尋問は全て免除してやる」
「本当……か……?」
「ああ」カルナス警部補は頷いた。「それは約束しよう。ただし、お前が自分の『全て』を話さねばならんが」
 ザールは何も言わずに息を切らしていたが、おもむろに語り始めた。「ああ……俺の負けだ。全部とは言わんが、話してやる……。お前達の……考えている通りだ……」
 ザールの言葉を聞き、カルナス警部補が命令した。「もっと具体的に話せ」
「俺は……俺はな……3人の女をさらった犯人だよ!」自暴自棄になったザールの声が大きくなる。「そうだとも! 俺がな、今噂の連続女性失踪事件の犯人だよ!」

4999年4月2日 19:20
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

「つまり、フォルティア・クロザックの話は正しかったわけか」
「はい」ティヴェンスの言葉にラマン秘書官は頷いた。「ザール・シュレーダー、エドバルト・ゼルス・ガートゥーン、そしてダルクレント・パロスの3人は、何者かの依頼を受けて、カッセル姉妹とナターシャ・ノブゴロドの誘拐の実行に携わっていました。彼らは冒険者を装い、《ブルーエルフ》で誘拐するターゲットとなる女性達の情報を集め、7番街のアジトで『シンジケート』──これはザールの言葉ですが──に対して報告を行い、同時に『シンジケート』からの依頼を受けていたようです。その7番街のアジトですが、フェールスマイゼンを購入していたグレスト・シュトライザーと名乗る人物が住んでいたとされていた部屋の、丁度真正面だったんです。サーレント・スレイディー警部補達が発見し、監視を行うようレイモンド・フォン・ビューローに対して進言した、あの部屋だったんです」
「つまり、我々はかなり早い時期から犯人の尻尾を見つけていたわけか」
「そういうことです。ビューロー卿が同じ『シンジケート』に属していたため、逆に捜査が行き詰まってしまったわけですが……。で、ザールの自供に戻りますが、彼らはナターシャ・ノブゴロドの誘拐の実行犯だったのですが、その犯行現場をフォルティア・クロザックに目撃されてしまったんです。それで、彼女を誘拐または殺害する目的で彼女を追跡し、7番街の路地裏に追い詰めたところ、フォルティアが反撃して──」
「エドバルトとてダルクレントが死亡した。そして、怖くなったザールは慌てて帝都シルクスから逃げ出したわけだな」
「逃げるよう命令したのは『シンジケート』ですが」ラマンは警視総監の言葉を訂正した。
「まあ、そのことは大勢には影響無いはずだ」
「しかし、彼は農村部で身を潜めていることに危険を感じ、『シンジケート』の指示を破って帝都シルクスに舞い戻った。そして、丁度その時に北西大通りでカルナス警部補とリデル・ベント巡査達に出会い──」
「そういうわけだな」ティヴェンスは満足げに頷くと、執務用の椅子に体を沈めた。「しかし、まだ謎が4つ残っている。誘拐された女性達が監禁されている場所、その他の実行犯達の顔ぶれ、『シンジケート』の正体、そして犯人グループの中にいたとされる神聖魔法の使い手の正体……。この謎を解かないと事件は解決したことにはならないぞ。自供を聞いた限りでは、ザールは『シンジケート』の末端で働く捨て駒に過ぎないようだからな」
「それはスレイディー警部補達も承知しているはずです。ザールが自供を始めてから、まだ3時間ほどしか経っていませんから、彼から聞き出せた情報もまだ少ないんです。また、女性達が監禁されている場所など、一部の肝心の情報については供述を拒否しています。しかし、神聖魔法云々の件に関しては、かなりのことが判明しています」
「具体的には?」ティヴェンスは体を前に乗り出した。
「まず、ザール自身が神聖魔法の使い手でした。クラム村北方の森林地帯の中で逮捕された時も、ザールは竜神タンカードのホーリーシンボルを保有していたのです」
「その話は聞いている」警視総監は頷いた。
「付け加えますと、レイモンド・フォン・ビューローが所持していたホーリーシンボルも、やはりタンカード神殿から支給された品物だったんです。それに、警視庁内で逮捕された『スパイ』の全員が、タンカード神殿に戸籍を置いていたか、同神殿に何らの関係を持っていたかのどちらかなんです。そして、ザール・シュレーダーとビューローが持っていたホーリーシンボルを作ったのは、ソレイル・ギスティム大司教なんです。この辺の話は、以前報告書にまとめましたから御存知ですね?」
「ああ。私も見ている」警視総監は頷いてから声を落とした。「つまり、何が言いたい?」
「連続女性失踪事件とそれに関する一連の騒動全体に、タンカード神殿──強いて言えばソレイル・ギスティムの影が見え隠れしているのです。神殿のどのレベルまでが事件に関わっているかは定かではありませんが、これは──」
「もういい」ティヴェンスは手を振ってラマンの言葉を遮った。「推測だけでそのことを論ずるのは止めよう。それが異端審問所の機能停止の原因になったのだからな。……それで、話を戻すが、その他には情報は入っているかね?」
「倉庫街での聞き込み調査ですが、港湾労働者などの証言を集めた結果、昼間に荷物の出入りが全く見られない倉庫や、倉庫内部で物音が聞こえた倉庫など、女性達が監禁されている可能性のある倉庫を3つにまで絞り込むことに成功しました。現在、捜査官達がこれら3つの倉庫を徹夜で監視しています。《ブルーエルフ》での調査ですが、こちらには全く進展が見られません。一応、オーナーであるダリル・ギスティムに対しては監視を行っていますが、彼が怪しい行動を見せているわけではありません」
「分かった。引き続き頼む」
 ラマン秘書官が警視総監執務室から退出すると、ティヴェンスは溜息を吐いた。
 ──真実までの道程はまだ終わらないか……。
 もう1つの懸案であった《7番街の楽園》における冤罪疑惑のほうは、一向に調査が進んでいなかった。ラマン秘書官がこの部屋を訪れる30分前に、冤罪疑惑の再調査を任せていた警視が中間報告のために現れたが、彼からは何ら新しい話を聞き出すことはできなかった。今日になってから開始された調査であり、部下達が結論を得るまでには最低でも数日が必要であることは、ティヴェンスも理解していた。だが、それでも失望感を隠すことはできなかったのである。
 ──もう少し……もう少しで『全て』が分かり、卑劣な犯罪者共を白日の元で断罪できるようになるのだ。その時が来るまで、今は忍耐強く待ち続けなければ……。

4999年4月3日 21:44
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、会議室

 エブラーナ盗賊ギルドがフォルティア・クロザックの身辺調査に投入した人員は、2日間で延べ80人となった。そして、彼らがエブラーナ中を掛けまわった成果が、盗賊ギルド1階の会議室のテーブルに並べられていた。
「本当に御苦労様でした」ラプラスは調査チームの代表者達に労いの言葉を掛けた。
「別に構いませんぜ。それが俺達の仕事ですから。それに、今回の仕事には、異端審問所から特別手当が出されるんでしたね?」
「1人340リラです。受け取りは盗賊ギルドの経理のほうでお願いします」
「そいつぁありがてぇですなぁ」別の盗賊が応えた。
「今からは国家機密に関わる作業ですので、異端審問所の関係者ではない方は御退席下さい」マンフレートが盗賊達を見回しながら言った。
「ちぇっ、つまんねぇなぁ」
「まあ、金がもらえたんだし、それでいいじゃねぇか?」
「臨時収入だな。今から酒場に飲みに行くぜ!」
 盗賊達が全て会議室から退出し、会議室のドアが閉められたのを確認してから、ラプラスが部屋に集められた人々に対して言った。「フォルティア・クロザックとエブラーナ市内で活動しているナディール教徒に関する情報は、このテーブルの上に全て並べられています。今から、全員でこの資料の分析を行います。現在、食堂の方に、午後10時半に夜食を出すように用意してもらっていますので、それを食べながらじっくりと調べることにしましょう」
「結論は出るのでしょうか?」ジスランが不安げに訊ねた。
「盗賊達の集めた資料の内容によります。もし、情報が不足していたならば、盗賊達を更に動員させて情報を集めるまでです。エブラーナ時代のフォルティア・クロザックの行為を調べるのですから、エブラーナで資料の大半は揃えられるはずです。シルクス時代の彼女の行為と、その他7人の冤罪疑惑の調査はシルクスに任せるしかありませんが」
「では、そろそろ始めましょうか?」そう訊ねたラフディアスの手には、既に羊皮紙の資料が握られていた。
「そうですね。では、皆さん、お願いします」
 椅子に腰を下ろしていたキャサリンや4人の司祭達、マンフレート、そして正副ギルド長は、ラプラスの言葉を合図に、いっせいに資料の山から自分が目を通すべき物を取り出した。ラプラスも長テーブルの端の席に座ると、彼の眼前に置かれていた繊維紙の山の中から1枚を取り出した。盗賊の1人が聞き込み調査して得られた情報が書かれたものである。紙の上半分は汚くて読めない字で埋められており、下半分には整った字で整然とした文章が並んでいた。
 ──清書するだけの時間はあったわけか……。
 ラプラスは報告書に目を通し始めた。

 (判読不能に付き前半部分は省略)
 住民アデル・ストーマー(44)の証言:
 4990年にフォルティア・クロザックに会ったことがある。
 快活な女の子であったことが印象に残っている。政治に関心を抱いていた様子は皆無。
 彼女が異端者として逮捕されたことを教えると、非常に驚いた表情を見せる。


 ──バソリー神殿の言い分と一緒だな。
 ラプラスは報告書を脇に置くと、別の繊維紙を手に取った。

 (判読不能に付き前半部分は省略)
 元警備員イグニス・クラゲット(71)の証言:
 4990年頃からエブラーナの大火が発生するまで、フォルティア・クロザックと別の男性1名が、エブラーナ港にある倉庫の1つに度々出入りしていたのを目撃。後に大火でこの倉庫は焼失するが、倉庫内からはナディール教団の関連物品が多数発見され、この倉庫がナディール教団のアジトではないかと疑われた。倉庫街で警備員として担当していた同氏は、タンカード及びバソリーの両神殿から幾度と無く事情聴取を受け、このことを供述している。


 ──先程とは話が全く逆だ。タンカード神殿が用意した証人達の話を補強する内容になっている。これで、求めるべき真実は見つけられるのだろうか?
 ラプラスは報告書を脇に置いた。
 ──まだ時間はある。この書類の中のどこかに「宝」は埋まっているはずだ。
 彼はこの後も同じ報告書の山の中から情報を探し続けたが、新たな情報が得られることは無かった。そして、彼が24枚目の報告書に手を伸ばそうとした時、長テーブルの一角から、技術神ナランドの司祭ラム・キエフの声が上がった。「ラプラスさん、ジスランさん。是非御覧下さい。興味深い物が見つかりました」
 ラプラスとジスランは書類をめくる手を止めると、椅子から立ち上がり、早足でキエフ司祭へと歩み寄った。そして、盗賊ギルド長が訊ねた。「どうしたんです?」
「私は過去の事件の資料を調べていたんです。で、その中に、フォルティア・クロザックとの関係が噂されている格闘家ザナッグ・ドーストンの資料も見つかったんですが、これがなかなか面白い品物でしてね」
「どういう資料だったんですか?」ラプラスが訊ねた。
「ザナッグ・ドーストンの戸籍ですよ」

戦争神マレバス・エブラーナ神殿が保有する戸籍謄本からの抜粋
世帯主ディオルムス・ドーストン4920年5月5日出生
ライラ・ブノス・ドーストン4919年7月2日出生
4987年10月1日死亡
ザナッグ・ドーストン4946年7月2日出生
ディフォール・ドーストン4948年3月10日出生
4990年2月21日死亡
レマ・ドーストン
→ レマ・ドーストン・グロリアス
4950年3月10日出生
注記全員が4974年7月20日にテンバーン王国オーバーン市より移住


「ザナッグって、テンバーン王国からの移住者だったんですか?」ラプラスが訊ねた。
「いいえ」キエフは首を横に振った。「実は、テンバーン王国に移住する前は、イオ=テード同君王国に住んでいたようです。テンバーン王国に住んでいた時期はほんの僅かだったようですね。このことは、ザナッグと長年の親交があった格闘家仲間が証言しています」
「それにしても、これはただの戸籍じゃないですか」ジスランが率直な感想を述べた。
「ええ。そうなんですが、こちらの資料と組み合わせると、面白いことが分かるんですよ」キエフはそう言って、2人に別の羊皮紙を見せた。「これです。フォルティア・クロザックの出生証明書です」

戦争神マレバス・エブラーナ神殿が保有する出生証明書総覧からの抜粋
被届出人フォルティア・クロザック
出生日新太陽歴4999年5月3日
ゼルメス・クロザック
アグリアス・クロザック
出産立会人レマ・ドーストン・グロリアス
注記母体の健康が危険であったため、ゼルメスの了承を得て帝王切開を実施。
フォルティアは双子の片割れ。双子のもう1人は出産時に既に死亡。


「レマ・ドーストン・グロリアス……」ラプラスは羊皮紙の文字を指でなぞりながら言った。「ザナッグ・ドーストンの妹じゃないですか。彼女、フォルティアとどのような関係にあったんです?」
「産婆と医師の資格を持っていたんです。エブラーナでは、レーウンダ・グロリアスという男性と結婚し、地元で産婆として生計を立てていました。結婚相手のレーウンダに関しては、彼が異端審問に関わることが無かったので、ほとんど見つかりませんでした。それに、4977年に既に病死していますし」
「彼女とナディール教団の関係はどうなんです?」
 キエフ司祭の隣に座っていたガーラル・シモンズ司祭が答えた。「全然分かりません。兄弟の中に、疑惑の渦中に立たされている人物がいる以上、彼女がナディール教団と何らかの接点を持っていてもおかしくはないはずです。しかし、それを匂わす証言が何1つ得られていないのです。そして、その逆の話──彼女が密告者となってザナッグを訴えたようなこともありません。異端審問所に召喚されたこともあったのですが、そこでは証言を拒否していました」
「どう考えます?」ジスランはラプラスに訊ねた。
「異端審問所を避けていたように見えますね」
 ラプラスの言葉にジスランが頷いた時、会議室のドアがノックされた。
「夜食をお持ちしました」
 この声にはラプラスも聞き覚えがあった。盗賊ギルドの食堂で働く女性調理師の声だ。
「入ってくれ」
 盗賊ギルド長が返事するとドアが開き、数人のウェイターが会議室内に入り、繊維紙や羊皮紙をテーブル中央に動かしてから、会議室の人々のために夜食を並べ始めた。ロールパン2個に野菜スープ、目玉焼き、サラダ、紅茶というかなり豪華なメニューである。食器は全て銀製であるが、これは盗賊ギルド長を暗殺から守るために必要な措置であった。70年前にギルド長が毒殺されたのを機に、盗賊ギルドにも銀製(ないし銀メッキ)の食器がようやく導入されたのである。暗殺術に長けた組織でありながら、どういうわけか、毒殺の可能性は全然考慮されていなかったのであり、ラプラスにはこのことが奇妙でおかしく思われた。
「美味しそうですね」マンフレートが嬉しそうに言った。
「ところでおばさん」ジスランが女性調理師に訊ねた。「今日のコッペパンの中身は?」
「さあ?」40歳過ぎと思われる彼女は微笑みながら答えた。
 このコッペパンは全て盗賊ギルド内の自家製である。その味の最大の特徴は、パンの内部にクリームが入っている点である。クリームの種類は果物製ジャムを中心に8種類あり、毎日ランダムに変えられていたため、盗賊ギルドを訪れる人々の間では、中身のクリームを当てることがちょっとした遊びになっていた。ラプラスもこの遊びに付き合ったことがあるが、正解できたことは今まで1回も無かった。
「苺かな?」ラフディアスがそう言ってロールパンを割って開けた。だが、中から出てきたのはブルーベリーのジャムだった。
「残念だったわね」女性調理師は楽しそうに笑った。「これを当てるのは難しいわよ。外側がいつも一緒だからね」
 ──外側がいつも一緒……。それは確かにそうだが……。
 ラプラスは女性調理師の言葉が頭のどこかに引っ掛かった。そして、目の前に並べられた食事に手を付けずに、腕を組んで考え込んだ。
 ──外側が一緒だと、中身が何であるか分からない。私も、コッペパンの中身を当てようとして、何度外したことか……。キャシーが1回だけ当てたんだが、それも偶然だったしな。
「どうしました?」マンフレートがラプラスに声を掛けたが、彼はそれを無視した。
 ──考えてみれば、エブラーナで目撃されたフォルティアとその連れは、「外側」だけが本物と一緒で、どちらも別人が変装した姿だったのではないかという可能性もある。だが、変装「元」となった人物が誰なのか、それが謎として残る。
 考え始めてから数分後、既にウェイター達は部屋から退出していた。ラプラスを除く全員は食堂が用意した夜食を食べながら、目の前に並べられている書類のことも、ナディール教団のことも忘れて、楽しげに談笑に耽っていた。
 ──そもそも、ナディール教団というところは秘密結社。外部での活動時ならばともかく、組織内にいる時には、変装は敵対的と見なされるはずだし、そのような規則が存在していたという証言も得られている。だから、証人達の一部が話していた「教団内部でフォルティアと全く同じ女性を見た」という証言は間違い無い事実になる。そう考えるほうが自然だ。だとすると、彼女はまるで双子のように……双子?
 次の瞬間、ラプラスの頭が目まぐるしく回転し始めた。今まで集めてきた雑然とした知識と情報が組み合わさり、より大きな推論が導き出された。そして、この推論は──ラプラスにとっては恐るべきことだったが──今までのあらゆる情報と矛盾しないものであった。
「死んだはずの双子が生きていた……」ラプラスは呟くように言った。
「え? どういう意味なの?」隣に座っていたキャサリンがラプラスの言葉に気付いた。
「フォルティア・クロザックの双子の片割れ……彼女は死んだことになっているが、もしも、実際には生きていて、彼女が『第2のフォルティア』として振舞っていたとしたら、どうなると思う?」
「……そうよ! それがあったわ!」
 会議室の全員がキャサリンの叫び声に気付き、顔を長テーブルの端に向けた。
「グリーノック司教、何があったんです?」ライアン司祭が訊ねた。
「ラプラスさんが『第2のフォルティア』の謎を解いたんですよ。今から、教授が詳しく説明してくれるそうですって」
「い、いきなりか?」キャサリンの言葉に顔をしかめたラプラスだったが、すぐに冷静な表情を取り戻した。「フォルティア・クロザックの出生証明書に、彼女が双子の片割れであることが書かれていたことは御存知ですね。それで、もしも、死んだはずのもう1人が実際には生きていて、彼女が『フォルティア』と偽り、ナディール教団の施設に出入りしていたとしたら、エブラーナ時代の証言の間に存在する矛盾が全て解消するんです」
「ちょっと待って下さい!」アテナ・オナシスが声を上げる。「あまりに突拍子過ぎます!」
「ですが、今まで得られた全ての情報と比較して、最も矛盾の少ない解釈がこれなんです。さすがに、偽物のフォルティアも、ナディール教団の外では変装していたと思います。ですが、教団の集会では素顔を晒さざるを得くなり、それを目撃した人物も実際に存在したんです」
「でも、どうやって、生きているはずの子供を死んだように見せかけたんです?」オナシス司祭はまだ納得していなかった。
「レマ・ドーストン・グロリアスが出生証明書を偽造したんです。帝王切開で出産したことは本当でしょうが、双子のうち1人が出産時に死亡していたのは嘘でしょう。死んだとされた妹は実際には生存していて、ザナッグの命令で死亡したことにして、他人に預けさせたんでしょう。……ゼルメスに容姿が似たナディール教徒の家にね」
「なぜ、帝王切開の部分は真実だと思ったんです?」ジスランが訊ねた。
「極めて簡単なことです。帝王切開の時には、呪文または薬品を使って、母親に麻酔をかけて眠らせなければならないんです。それに、『外科手術中だから部外者は立ち会わないでくれ』と言って、ゼルメスを現場から追い出すことも簡単になるでしょう。このことが逆に、ザナッグ達には好都合だったのかもしれません」
「確かにそうかもしれないけど、謎は残っていますね」ラフディアスが言った。「レマ・ドーストンがアグリアス・クロザックの子供が双子であることを知った方法。それに、ナディール教徒1人を確保する方法としては、あまりに非効率的で非合理的だという問題点。この両方が分からないと、私としては納得できないのですが」
 ラプラスは頷いた。「私も同感です。ただ、レマ・ドーストン・グロリアスがアグリアス・クロザックの容態を知ることは容易だったと思います。緑系統呪文の中に、対象となった人物の健康状態を調べる呪文が存在するんです。もしも、レマが緑系統呪文の使い手だったとしたら、その呪文を使って調べることもできたはずです。私もその呪文は使えますからね。動機については、私も頭を捻らざるを得ない点が存在することは認めますが、その辺は、レマ・ドーストン・グロリアスから聞き出せば済みます。でしょう?」
 ラプラスの言葉に、会議室内の出席者の多くの首が縦に振られた。
「とりあえず」盗賊ギルド長が言った。「これで、我々がエブラーナで捕まえるべき相手が見つかったわけです。レマを捜し出し、公文書偽造の容疑で逮捕して情報を吐かせましょう。全てはそこからです」

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『異端審問所の記録』目次 / 登場人物一覧
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