本編(34)
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4999年4月4日 13:24
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド地下3階、第1特別尋問室
ラプラスは息を切らしながら、手元に溜まった10枚の繊維紙のメモに目を落とした。約1時間を掛け、レマ・ドーストン・グロリアスの記憶を走査して集めたナディール教団関連の情報が、この10枚の繊維紙に凝縮されていた。僅か1時間で情報を集め整理せねばならなかったので、情報の細部には穴も見られたが、ラプラスと異端審問所、そしてエブラーナ盗賊ギルドが必要としていた情報は全て集められたのである。
「終わりましたか?」ラプラスの背中にマンフレートの声が掛けられる。
「とりあえず……1時間で集められるだけは集めた」ラプラスは繊維紙の束をマンフレートに手渡すと、ブラウスの袖で額の脂汗を拭った。「それにしても、他人の記憶を走査するのは……いつやっても大変な所業だな」
「ええ。何せ、顔に血管が浮き出るくらいですからね」
レマ・ドーストン・グロリアスは壁に磔にされた上に、その口にはボール逆が噛まされていた。無論、舌を噛み切って自殺することを防止する為の措置である。だが、情報収集を確実に成功させる為、ラプラスはレマにエブラーナ盗賊ギルドに伝わる特殊な薬品──吸引性の麻薬の一種で、犠牲者の魔法抵抗力を弱める作用があった──を嗅がせ、更に10分間の精神集中を行った上で、橙系統呪文の1つ【サーチ・メモリー】を唱えたのである。呪文は成功し、彼の頭の中にレマ・ドーストン・グロリアスの49年間の記憶と知識が流れ込んだ。彼はこの情報の洪水を必死になって制御し、必要な情報だけを抽出し紙に書き写したのである。
より高位の橙系統呪文の使い手ならば、対象の記憶や知識を映像化して他の人間にも紹介することが可能になるのであるが、ラプラスはそれほどまでに橙系統呪文に習熟しているわけではなかった。エルドール大陸の魔術師としては屈指の実力者であるラプラスであったが、彼の専門はあくまでも青系統呪文である。
「これで、必要な情報が全て引き出せたのなら良いが……。とりあえず……彼女が自殺しないよう……警戒は怠らないでくれ」
「それはわしらに任せるのじゃ」ラプラスの知己となった拷問吏の老人が応えた。「まあ、もうしばらくはこの見苦しい格好を続けてもらうことになるが、それは仕方あるまいて……。本当ならば、歯を抜くという手荒な方法も使えたのじゃがな」
「それにはキャサリンさんが反対していました」
「ふう……まあ、あの人は理想論がお好きと見えるからのう。いかにも、人間世界のドロドロしい現実を知らぬ、神殿関係者が漏らしそうな言葉じゃ。ああいう方には、この世界で働くことは無理なのかもしれん」
ラプラス達は老人の言葉には応えなかった。
「それはそうとしてじゃ、どういうことが分かったのかね?」
「ほぼ教授の御推察通りです」マンフレートがメモを捲りながら答えた。「彼女はイオ=テード同君王国の秘密工作員も兼ねており、主として情報収集活動に従事していたようです。そもそも、ナディール教団の幹部クラスの人間には、同君王国の為に情報収集の任務に当たるという密命が下されていたようでして、【召喚魔法ペガサス】を使い、同君王国首都テードとの間で頻繁に情報の交換を行っていたようです。また、今年に入ってからは、テンバーン王国との軍事同盟が復活したことを受けて、ナディール教団経由で入手された機密情報は、同君王国とテンバーンとの間で共有化が進められていたようです」
「ほっほっ……」老人は笑い声を上げた。「宗教団体の皮を被ったスパイ組織……。面白い話じゃのう。して、ナディール教徒は全員が同君王国のスパイとなっていたのかね?」
「そういうわけではないようだ」ラプラスの言葉と呼吸は落ち着きを取り戻していた。「実際に情報収集活動に従事していたのは、司祭や司教など、北の国々から派遣された人々が大半を占めている。我が帝国内でナディール教団に参加した人間の中で、裏での活動を知っていたのは、全体の1割程度にも満たないらしい」
「しかし、どうして今まで分からなかったのかね?」老人は首を傾げた。
「事情聴取をする人間が、この可能性に全く気付いていなかったからだろう。私やマンフレートだって、レマ・グロリアスの自宅から暗号文とその『鍵』を押収するまでは、彼らが北からのスパイだったなんて夢にも考えなかったぞ。逮捕する側のほうが彼らのことを思想犯とだけしか認識していなかったことの現れだ。宗教学の専門家でありながらそれに気付かなかった私もどうかしていたのだがな」ラプラスは肩をすくめた。「それに、暗号文や『鍵』の処分などは簡単にできる。朝食用のスープを温めている為に火を点けている竈の中に放り込めば、僅か10秒足らずで処分は完了だ。簡単なものだろう?」
「今度からは、連中への事情聴取も変わるかね?」
「ああ。単なる思想犯としてではなく、間諜としての取り扱いが必要になるかもな。……では、彼女を地下牢に戻してくれ。先程も申し上げたが、レマ・グロリアスが自殺することの無いよう、24時間体制で厳重な警備を続けてくれ。頼むぞ」
「それはわしらに任せておけ」
ラプラスは老人の言葉に無言で頷くと、レマのほうを向き、彼女に指を立てながら言った。「自殺することは不可能だ。また、必要になったら情報をもらいに来るぞ」
レマの声にならない呻き声を聞きながら、ラプラスとマンフレートは第1特別尋問室を後にした。2人の背後では、拷問吏の老人と彼の弟子達が、彼女を地下牢に移すべく作業を開始していた。
4999年4月4日 14:30
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室
「おい、デニム」
デニムはサーレントの言葉を聞き、眼前に置かれたザール・シュレーダーの調書から顔を上げた。「どうしたんです? 今、僕はザールの供述調書を清書しているところ──」
「ラマン秘書官が俺達を呼んでいる。新しいことが何か分かったそうだ」
「新しいこと? 一体、何でしょうか?」
「さあな、教えてもらえんかったぞ。まあ、秘書官は大分興奮してたが」
「何はともあれ、聞きに行きましょう」
デニムは席を立つと、部屋の一角に捜査官達を集めていたキロス・ラマンのところへ向かった。セントラーザやカルナス警部補は一足先に人垣の中に加わっていた。人垣の輪の中央に立っていたラマン秘書官の手には、タンカード神殿の印章が押された羊皮紙のスクロールが握られている。
「これで全員が来たな」デニムとサーレントが現れたのを確認して、ラマンが口を開いた。「つい先程、タンカード神殿最高司祭であるジョン・フォルト・テンペスタ様から、我が警視庁宛てに御手紙が届けられた。これがその現物である」
スクロールに注目していた捜査官達の間から驚きの声が上がる。
「とりあえず、その内容を掻い摘んで説明するとこうなる」ラマンは咳払いした。「タンカード神殿内で進められている《7番街の楽園》で逮捕された8人に対する再調査の途中経過の報告が出た。同神殿では、警視庁やバソリー神殿とは異なり、告発及び証言を行った人物に対する調査から手を着けていたのだが、その中で興味深い情報が得られたそうだ。ジョン様の御手紙によると、冤罪疑惑が払拭されていない6人に対して証言や告発を行った人物の全てが、バイロイト修道会の関係者かソレイル・ギスティム大司教の親類縁者もしくは友人だったそうだ」
「すみません、『全員』ですか?」カルナス警部補が聞き返した。
「お手紙ではそうなっている。で、話を戻すが、ジョン様はこの事実を偶然の一致とは解釈されていないようだ。現在、解散されたバイロイト修道会に対する再調査をタンカード神殿に御命令された。また、これは極秘扱いと断られている情報なのだが、元バイロイト修道会関係者を破門することも検討されるそうだ。その理由は訴権乱用のみだが、将来的に罪状が増えることも予想される──と書かれてあった」
「つまり、どういうことなんです?」セントラーザが訊ねた。
「より詳しいことは、バソリー神殿からの御連絡を待たねばならないが、《7番街の楽園》に対する冤罪疑惑には、これで一定の回答が見えたことになるだろう。8人中有罪は2人、残る6人が冤罪、冤罪の仕掛け人は元バイロイト修道会関係者……そういうわけだ。少なくても、ジョン様はそのようにお考えのようだ。そして、タンカード神殿が冤罪疑惑と連続女性失踪事件との関連性を認める可能性がある」
「だとすると、どちらもソレイル・ギスティムの仕業──」デニムが口を開いた。
「断定するには早すぎる」ラマンは首を横に振った。「だが、我々警視庁が当面の間追うべき相手はこれではっきりと分かったし、彼らを追うことに対しタンカード神殿の『お墨付き』が得られたことも事実だ。事件の解決は間近に迫っているぞ」
4999年4月4日 15:00
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、会議室
エブラーナ盗賊ギルドの地元在住幹部達に、盗賊ギルド長レイ・ジスランと、異端審問所裁判所長代行キャサリン・グリーノックの連名で、緊急の召集命令が発せられた。突然の呼び出しを受けた盗賊達は「異端審問所の用事って一体何だ?」と首を傾げながら、盗賊ギルド1階の会議室へと集まった。彼らの顔には、不安と好奇心が入り混じった表情が浮かんでいた。
運命神ゾルトスの神殿が鳴らす午後3時の鐘が聞こえる中、ジスランは会議室の黒板の前に現れ、椅子に腰掛けている盗賊ギルドの幹部17人に向かって口を開いた。「突然の召集で申し訳ないけど、早速説明を始める。本日昼、シルクス帝国皇帝ゲイリー・フォルト・テンペスタ様から、エブラーナ市内に潜伏している異端者達を逮捕する為の作戦実施の御指示が出された。そこで、我々エブラーナ盗賊ギルドは、異端審問所に派遣されている職員の全面的な支援と協力を受けながら、ナディール教団のアジトを襲うこととなった」
居並ぶ幹部達の間にざわめきが起こるが、ジスランは手を上げてそれを鎮め、状況説明を更に続けた。「作戦実行は明日の午後9時。礼拝中のナディール教団のアジトを攻撃する。ナディール教団の大型アジトを摘発するのは、異端審問所の歴史が始まって以来初めてのことだから、心して作戦に取り組むように。また、作戦準備の時間が殆ど残されていないが、今回の作戦は緊急性を要するものであり、その点は了解してもらいたい。ここからは、副ギルド長に作戦の詳細について説明してもらう。では、よろしく」
部屋の脇で待機していたラフディアスは無言で頷くと、ジスランが立って演説していた場所まで移動した。そして、右手に丸められていた羊皮紙の地図を長テーブルの上に広げてから、説明を開始した。
「では、作戦を説明します。この地図を見ながら聞いて下さい」ラフディアスは地図を白い棒で指し示した。「逮捕されたレマ・ドーストン・グロリアスの供述と、彼女の自宅から押収された資料、更にラプラス教授による呪文の使用によって、エブラーナにおけるナディール教団の中枢とも言えるアジトの位置と、その内部構造が判明しました。それが、このエブラーナ港第14号倉庫です。4970年に倒産した小麦小売業者の倉庫をレスフェルト・ヴィルヌーヴが4977年に買い取ったものです。石造りの建物で、建物内部はナディール教徒の手によってこの図面のように改造されています」
全員の目が長テーブルの地図に集まった。部屋の脇で会議を傍聴していたラプラス、マンフレート、キャサリンの3人も壁から体を離し、盗賊達と一緒に地図を観察した。
「ナディール教徒達の礼拝は、この倉庫の地下1階にて行われます」ラフディアスは棒で「礼拝堂」と書かれた場所を示した。「礼拝が行われるのは5の倍数日の午後8時半から午後9時半まで。ナディール教徒はこの時だけ一同に会し、情報交換や互いの近況報告を行い、そして神ナディールに対して祈りを捧げるわけです。我々はその時間帯を攻撃することにします」
「ちょっと待って下さい」幹部の1人が反論の声を上げた。「それでは、連中を逆撫ですることにはなりませんか?」
「それは十分に承知しています」その質問にはラプラスが答えた。宗教学の専門家が答えるべき事柄であるからだった。「確かに、我々がこのアジトを礼拝中に攻撃するとなったら、ナディール教徒からの猛反発は絶対に免れないでしょう。しかし、今回の攻撃には、『我がシルクス帝国はナディール教団の存在を絶対に認めない』というメッセージがこめられているのです。彼らを逆撫ですることは承知していますが、それも作戦計画の一部に織り込まれています」
「しかし──」
「申し訳ありませんが、この点で異端審問所が譲歩することはありません」ラプラスは強い調子で言った。「今回の作戦目的はエブラーナにおけるナディール教徒の根絶です。従って、より多くの人間が集まっているところを一網打尽にしたほうがより効率的なのです。帝都シルクスもそれをお望みなのです。よろしいですね?」
ラプラスの言葉を聞き、再び幹部達の間からざわめきの声が上がる。礼拝中の攻撃という危険な賭けに出たシルクス帝国政府の判断について、隣に座る者の意見を求めようと誰もが考えたのである。
「静かに」ラフディアスが会議室の雑音を静めた。「作戦目的が何であれ、我々が為すべきことは、帝国政府から発せられた要請と命令を受諾し、それに従った作戦を展開して、帝国政府と国民全体に利益をもたらす為に働くことです。その点に疑問の余地は無いはずです。よろしいですな?」
ラフディアスの言葉に、盗賊達の首が一斉に縦に振られた。
「作戦の説明を続けます。エブラーナ港第14号倉庫には、正面と背後に2ヶ所の出入り口が存在します。我々は午後9時の鐘の音を合図に同時に突入し、礼拝中で戦闘態勢の整っていないナディール教徒を拘束していきます。ただし、今回の交戦規定では、作戦参加者には無制限の攻撃が許可されます。これも帝都シルクスの政治的決定によります。作戦時の両部隊の陣容については、会議終了直後に発表します。ただし、今回は作戦規模が極めて大掛かりである上に、倉庫内に魔法製のトラップが複数設置されている疑いがあるため、特別に異端審問所に援軍を依頼することに致しました。まず、盗賊ギルド長が指揮を取る正面口の攻撃部隊には、デスリム・フォン・ラプラス教授とキャサリン・グリーノック司教にも加わって頂くことになりました。御両人は魔法の専門家として攻撃部隊に参加し、魔法製トラップの検知と排除、そして負傷者の治療に専念して頂くことになっています」
ラプラスとキャサリンは無言で頷いた。
「続いて、私が参加する裏口からの攻撃部隊ですが、私が魔法製トラップの検知と排除を担当し、その際の指揮代行役として、ラプラス教授の副官であるマンフレート・セルシュ・ブレーメン殿に協力をお願いしております」
マンフレートが黙礼する。
「氏のレイピアの腕前の凄さは誰もが御存知のはずです。戦闘経験も豊富ですので、指揮官代行としても能力的に不足は無いはずです。また、異端審問所からは、この他にもブルーム・ライアン司祭が派遣されることになっています。……以上が作戦の概要です。何か質問は?」盗賊達の間からは何も声が上がらなかった。「では、作戦説明はこれで終わりです。最後に、異端審問所のほうから何かありますか?」
「よろしいでしょうか?」ラプラスが手を挙げた。
「どうぞ」
「無理を承知で行う今回の作戦ですが、我々が摘発を急ぐ理由は2つあります。まず第1に、明日午後9時から開始される礼拝の席上で、ナディール教団の幹部であるレマ・ドーストン・グロリアスの失踪が露呈することは明白であるからです。彼女が礼拝に顔を出していなかったとなれば、残りのナディール教徒がレマの行方不明の原因を我々に求めるのは時間の問題です。本来ならば、今日中に作戦を展開すべきなのかもしれませんが、ナディール教徒達の日常の居場所に関する情報が欠けていることを考慮し、止むを得ず1日ずらしたのです。彼女が逮捕されたことが他のナディール教徒に知られていない可能性のある明日の夜が、彼らを一網打尽にするラストチャンスなのです。続いて、第2の理由ですが、これはレマ・ドーストン・グロリアスからの情報で判明した事実なのですが、ナディール教団にはイオ=テード同君王国の諜報機関としても顔も存在するのです。彼女の自宅からは、同君王国政府とナディール教団との関係を示唆する物品が発見されています。また、彼女の記憶を走査した結果、ナディール教団と同君王国──更にテンバーン王国の諜報機関が接触を持っているという情報も入手しました」
ラプラスの言葉を聞き盗賊達の間からざわめきが起こる。彼は盗賊達の声が自然に収まるのを待ってから再び口を開いた。「盗賊の方々の中には、異端審問制度に対して嫌悪感を抱かれる方がいるかもしれません。その方々に対して申し上げておきたいのは、我々帝国政府がナディール教団を敵視しているのは、彼らのイデオロギーだけが原因ではありません。彼らは宗教団体であり政治結社であると同時に、我がシルクス帝国とは異なる国に与する諜報機関の一部なのです。従って、彼らに対する罪状は、バディル勅令違反だけではなく、刑法で禁じられた仮想敵国への利敵行為も含まれています。繰り返しますが、彼らは異国のスパイなのです。よろしいですね?」
盗賊達の首が縦に振られた──力強く。
4999年4月4日 17:57
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、道場
エブラーナ盗賊ギルドの盗賊達が暗殺術に磨きを掛ける場所──それが1階の道場である。転倒時の衝撃を吸収する為に、40m四方の広い道場の床全体には薄手のカーペットが敷き詰められ、盗賊達はその上で、ある時は師範代の盗賊と拳を交え、またある時は道場の端に立てられていた藁人形相手に剣を振い、また別の時には盗賊同士が木製の武器で模擬戦闘を繰り広げるのである。エブラーナ盗賊ギルド長レイ・ジスランにとっては、この場所は同じフロアに設置されていたギルド長執務室よりも頻繁に訪れる場所となっており、デスクワークを全てラフディアスに押し付け、部下達の訓練と教育に汗を流す日々を送っていた。そして、このことはジスランに対する盗賊達の信頼感を高めていることにも繋がっていた。
作戦会議と部隊編成の発表を終えたラプラスは、ナディール教徒追討作戦に参加する彼の腕前を知りたいという物好きな盗賊達の依頼を受け入れ、盗賊ギルド1階の道場にて、3対9の模擬戦を披露することになった。ラプラスの隣にはジスランとマンフレートが立ち、この3人で盗賊ギルドの幹部8人を相手に戦うことになったのである。だが、模擬戦はラプラス達の圧勝に終わった。ジスランとマンフレートを楯として前線に向かわせた後、立て続けに攻撃呪文を完成させ、白兵戦に気を取られていた盗賊達を次々と気絶させていったのである。その間にも、ジスランとマンフレートの鮮やかな技が盗賊達を次々と無力化していく。そして、7人目の幹部が気絶した時点で勝負は終了となった。所要時間は42秒。
「……強いですねぇ……」額に絆創膏を貼ったマンフレートが、ラプラスの隣で寝転がったまま呻くようにして言った。
「呪文で戦うだけしか能が無いから、前線に『楯』となる人間がいないとどうしようもないのだがな……。まあ、これで足手まといにはならずにすむことは証明できたわけだ」
「そうですね」ジスランが頷いた。「脱走者を呪文1発で仕留めたという話を聞いていましたから、教授の魔術の腕前についてはある程度は知っていましたし、レマ・グロリアスを逮捕する時にも少しだけ呪文の腕前を拝見したのですが……こんなに凄いものだとは知りませんでしたよ。見たところ、青系統呪文が得意そうですね?」
「ええ」
ラプラスは頷いて、道場内の盗賊達を観察した。
道場の中では、多くの盗賊達が暗殺術の訓練に汗を流していた。エブラーナ盗賊ギルドには、あらゆる武器を使った暗殺術と戦闘術が伝わっているが、盗賊達の間で最も好まれていたのは、ショートソードやダガーを両手に1本ずつ構える戦闘術である。攻撃のみならず、防御・回避にも2本の剣を使うのである。無論、彼らの使う剣技も、剣を2本とも使用するよう独特の改良が施されていた。
──二刀流か……。私には無理だな……。
盗賊達の戦闘術で最も重視されていたのはスピードであった。常に相手より素早く動き、敵の隙と弱点を見つけ、そこを集中的に狙う。盗賊の活動には軽装備が求められるため、重戦士のように鋼鉄の装備で身を固めることは不可能であった。その装備の差を埋める為には、軽装であることの利点──身軽になれる点を追求するするしかなかったのである。
「早いなあ……」マンフレートは盗賊達の動きを目で追いながら呟いた。
4999年4月5日 02:27
シルクス帝国首都シルクス、6番街、ナターシャ・ノブゴロド達の監禁場所
「出荷」──女性達のダルザムール帝国への移送を5日後に控え、「シンジケート」メンバーの間には緊張感が高まりつつあった。シルクス警視庁内部に浸透していた彼らの同志であるレイモンド・フォン・ビューローが警視庁に逮捕されてから、「シンジケート」は警視庁や内務省内部の情報を集めることが不可能になっており、その行動を大きく自制せねばならなくなっていた。しかし、それと同時に、「シンジケート」が要求していた女性20名に欠員が出た──カッセル姉妹を殺害した──ことにより、彼らは「シンジケート」で働いていた女性1名を新たな生贄として選ばざるを得なくなっていたのである。これでも欠員が残り1名だけ残されており、彼らは新たな犠牲者探しを開始していた。
「誰がいい?」男達の1人が、テーブルの上に広げられた繊維紙に目を通しながら言った。
「こいつとこいつ……そしてこいつ、この3人のどれかだな」
向かい合って座る男は3枚の繊維紙を順に指差した。1人目は7番街のとある酒場で働く女性で、7番街鮮魚市場東側にある食堂《大漁》で働く青年の婚約者であった。2人目は3番街の知識神シャーンズ神殿に通う12歳の少女。そして、3人目は4998年10月にシルクス警視庁へ入った新人の女性巡査である。
「これとこれはいいが……こいつはヤバくないか?」男は3枚目の繊維紙を指差した。「警視庁の捜査官だとか聞いてるぜ。しかも、父親が大蔵省財務部長──最近、官房長に昇格したばかりの大物だぞ。こいつを誘拐したら、とんでもないことになるぜ」
「既に20人もさらって来たのに、今更怖気づいたのか? それに、こいつなら『不良品』として『処分』されたエレハイム・カッセルの代わりになるだろうよ。結構な美人だと警視庁では評判だしな」
「ソフィアの代わりはあの女ってわけか」男はそう言って、手枷をはめられたまま眠りに落ちている元同志を指差した。
「そういうこと。『商品』の『調達』に限って言えば、残り2人の女性のほうがはるかに楽そうなのだが、『商品』の質を考えると、やっぱり、俺としては20体目の『商品』には、この女性捜査官を推薦するぜ。質に限って言えば文句も出ないだろう?」
「ああ、そうだな」男は頷いた。
「じゃあ、朝になったら早速ボスに提案──」
男達の会話は、人質達の間から漏れ出した声によって中断された。「……ねえ」
「『ねえ』って……一体何だ?」男達が振り向いた先には、眠たそうに目を擦っているセリス・キーシングの姿があった。「どうしたんだ? もう深夜だぞ。子供は寝なきゃ駄目じゃないか」
「ごめんなさい……でも、トイレに……」
「トイレか」男達の1人が椅子から立ち上がった。「しょうがねえじゃないか。ほら、俺がついて行ってやるから、早く済ませるんだ」
「うん……分かった」
男とセリス・キーシングは蝋燭だけが灯された仮設の廊下を通り抜け、倉庫の最深部にある仮設トイレへ向かった。男は仮設トイレの出入り口に立つと、セリスだけをトイレ内部に行かせた。「ほら、早く済ませるんだ」
「うん……わか──」セリスは言葉を途中で詰まらせると、突然息苦しそうな喘ぎ声を上げた。その華奢な体ががくっと折れ曲がり、彼女は片膝を床についた。
「ん? どうしたんだ?」
セリスの喘ぎ声は更に大きくなった。「ごめ……ん……息……が!……」
「喘息の発作か!」男はセリスの体を抱きかかえると、廊下に向かって叫んだ。「おい、大変だ! 早く来てくれ!」
4999年4月5日 02:39
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街
キロス・ラマンの命令で倉庫街の監視に当たっていた捜査官達の耳に、深夜に似つかわしくない叫び声が聞こえてきた。女性──おそらくは少女の息苦しい声と、突然の事態に慄き混乱している男性の声である。
「何だ?」
「あの窓からだな」
捜査官達は、蝋燭の光が僅かに漏れ出している窓の下まで、忍び足で近寄った。音を立てないよう、靴は布製の特注品を履いていたのであるが、それでも細心の注意を払わねばならなかった。窓の下に到着した2名の捜査官は、窓の下で腰を落とすと、窓の内側から聞こえてくる女性の喘ぎ声と男性達の会話に耳を傾けていた。
「どうした……大ご……か上げて」
「こいつが喘息の発作を起こしたんだ! 確か、特効薬か何かが残ってなかったか!?」
「特効……ルスマイゼ……か?」
「そうだ! あれがないと喘息がおさまらないんだ! 早くしろ!」
「分かった。繰り返し怒鳴るな」
足音が遠ざかり、室内から聞こえてくるのは女性の喘ぎ声だけとなった。約1分後、再び足音が聞こえ、薬を取りに行ったと思われる男性の声が聞こえてきた。「これだ」
「そうだ! さあ、これで楽になるぞ」
男の言葉が終わると、倉庫内から聞こえてくるのは女性の息だけとなった。だが、それもやがて小さくなり、やがて聞こえなくなる。
「どうだ?」
「ああ、これで大丈夫か?」
「うん……ごめん……」幼い少女の声が聞こえてくる。
「じゃあ、部屋に戻るぞ」
3人の足音が遠ざかり、倉庫内は再び静寂に包まれた。
窓の下で待機してた捜査官達は互いに顔を見合わせると、互いに無言で頷き合った。
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