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4999年4月5日 08:54
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

「監禁場所が特定できた!?」ラマン秘書官の報告を聞いたティヴェンスは、驚きと喜びのあまり思わず立ち上がっていた。椅子が音を立てて揺れる。「それは本当なのか!?」
「はい。少なくても、セリス・キーシングと思われている女性が監禁されている倉庫は特定できました。これです」ラマンはそう言って、ティヴェンスの机の上に広げられていた倉庫街の地図の1点を指差した。「これ──北列2番倉庫です。4990年に所有権が通産省からダルザムール帝国出身の商人バルディオス・グレディアに移っています」
「バルディオス・グレディア? 誰だ?」
「届出によりますと、ダルザムール帝国首都ダルザムールに本店を構えるタバコ商人……というふうになっています。現在、所有している船舶《偏西風ライダー》を使ってここシルクスを訪問中だそうです。その目的はシルクスでのタバコの買い付けとなっています」
「今、バルディオスがどこにいるのか分かるか?」
 ラマンは首を横に振った。「それは全く分かっておりません。いるとすれば、シルクス港に停泊中の《偏西風ライダー》か、問題の北列2番倉庫のいずれかになるでしょう。帝都シルクスの別の場所に潜伏している可能性も否定できませんが」
「それはどうでも良い。まずは、見つかった犯人達のアジトから女性達を救出する算段を考えねばならんな。倉庫の見取り図などは判明しているのか?」
「ええ。通産省の警備員を叩き起こして手に入れました。今頃、地下1階でスレイディー警部補達が救出作戦を検討中のはずです。ですが、連中が倉庫の中を改造している可能性も高いので、見取り図が役に立つかというと……」
「そういうことだな」ティヴェンスは椅子に腰を下ろした。「それに、犯人達を逮捕して人質を救出するとなれば、この倉庫と《偏西風ライダー》以外にも、攻撃を加えるべき場所が出てくるかもしれんぞ。レイモンド・フォン・ビューローのように、シルクス帝国の国民でありながら今回の犯罪に加担した連中も捕まえねば解決にならない」
「ソレイル・ギスティム大司教ですか?」
「それと、彼の弟であるダリル・ギスティム。彼らが連続女性失踪事件にどの程度関わっていたのかは分からんが、彼らが事件の目撃者であるフォルティア・クロザックを消す為に訴権を乱用したことはほぼ間違い無いだろう。タンカード神殿からは、彼らを破門して免責特権を消す為の事務手続きに入ったという情報も流れている。ついでに言えば、ギスティム大司教による訴権乱用に深く関わっていた大物政治家の首を飛ばさねばならん」ラマンが訝しげな表情を浮かべていたのを見て、ティヴェンスは実名を挙げて説明した。「アーサー・フォン・ランベス大蔵大臣のことだ」
「あの男もですか? 確かに、彼のおかげで我々は迷惑を蒙ってしまいましたが、だからといって、彼が連続女性失踪事件の犯人達の一部だというのは……」
「その確証は全く無いし、おそらく違うと思う」ティヴェンスは首を横に振った。「しかし、彼がギスティム大司教の訴権乱用に関与していた可能性は高いだろう? 現に、《7番街の楽園》に対する摘発を決定した3月4日の閣議では、ランベス枢機卿が無理難題を押し通したために、あの忌々しい決定が下されてしまったのだぞ」
「それでは私怨になりますね」ラマンは冷静な分析を述べた。
「……ま、まあ、それはともかく。彼があそこでやった行為について、何らかの形で政治的責任を取ってもらうことになるのは間違い無いだろう。彼の首が物理的に飛ばされることにはならないだろうが……」
 ラマンは無言で頷いた。
「何はともあれ、まずは人質達の救出と《偏西風ライダー》の家宅捜索から取り掛かろう」
「逮捕状と捜索礼状はどうされますか?」
「私が内務省まで出掛けよう」ティヴェンスは静かに立ち上がった。「君は救出作戦案の検討に加わってくれ。逮捕状が発行され次第、直ちに作戦を開始するぞ」
「了解」

4999年4月5日 09:20
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室

 連続女性失踪事件の被害者達が監禁されている思われていた北列2番倉庫と、犯人グループの一部が乗っていると思われる《偏西風ライダー》に対する攻撃作戦案の検討は、午前8時から開始されていた。だが、20人以上の捜査官達が頭を寄せ合い、疲労困憊していた頭を酷使して考え出した作戦案は、様々な困難に直面し、その全てが不採用となっていた。彼らが1時間半の議論の末に得た作戦案とは、《偏西風ライダー》と北列2番倉庫を同時に攻撃するという部分だけであり、残りの部分は全て白紙となっていた。
「──結局はそこに戻ってしまうわけか」
「はい」サーレントの言葉にデニムは頷いた。「今回の作戦には2つの障害が付き纏っています。1つ目は18人以上存在すると思われる人質達。そして、2つ目は犯人達の装備がどの程度のものであるか全く分からないこと。神聖魔法の使い手が混ざっていることはほぼ確実だと思いますが、その他の魔法の使い手がどのくらいいるのか、建物の中に魔法のトラップがどれくらい設置されているのか……。この2点がとにかく気になりますね。犠牲は最小限にしたいですし……」
「確かにそれは分かる」カルナス警部補は頷いた。「しかし、その程度のリスクは覚悟の上でないと、救出作戦は実行できないぞ」
「ええ。それも理解できるのですが……せめて、倉庫内の構造さえ分かれば、作戦計画を立てるのが楽になるのですが……。どうすればいいんでしょう? 関係者の中で、倉庫内部の情報を知っている人間から話を聞き出せたら──」
「誰かいるのか?」サーレントが訊ねた。
 巡査の1人が答えた。「知っている可能性があるのは、バルディオス・グレディアの前に倉庫を保有していた通産省タバコ部の職員、倉庫を管理していた運輸省港湾部、それと……誰かいましたっけ……?」
「既に逮捕された犯人達がいたわよ」セントラーザが声を上げた。「レイモンド・フォン・ビューローとザール・シュレーダー。彼らは倉庫内に入ったことがあるかもしれないわ」
「しかし、どちらも話そうとしていないぞ」サーレントが言った。「ザールのほうは倉庫内の構造について供述を拒否している。それに、ビューロー元警視に至っては、倉庫内に入ったことが無いと供述している。元警視のほうはともかく、ザールからはもっと油を搾り出さねばならんのだぞ」
 ザールの事情聴取と特別尋問を担当していたカルナス警部補が口を開いた。「だが、あいつがあれ以上口を割るとは思えん。特別尋問の許可が出てからは、毎日のように俺はあいつに情報を吐かせようと努力しているのだが、奴が認めたのは連続女性失踪事件への関与だけで、それ以外のことについては口を閉ざしたままだ。一体、どうすれば良いと言うんだ?」
「いっそのこと、橙系統呪文が使えたらいいのに……」
 巡査部長の男から出た言葉を聞き、サーレント達の目が一斉に発言者へ向けられる。
「今、何て言った?」サーレントが訊ねた。
「橙系統呪文が使えたら、どれだけ楽だろうかって思ったんです。ええ、今の司法制度じゃ、橙系統呪文によって集められた情報への法的効力は認められていませんから、推奨できる方法じゃないことは承知していますよ。しかし……」
「そうだな。奴から情報を引き出すことができたら、人質を死なせない作戦が立てられる」
「確かに、今よりかは楽ができますね」
 デニムの言葉に多数の首が縦に振られた。その時、第2会議室の中にキロス・ラマンの声が響き渡った。「作戦計画のほうはどうだ? 順調に進んでいるか?」
「全然駄目です」サーレントは首を横に振った。
「障害は何だ?」ラマンは倉庫の地図に歩み寄りながら訊ねた。
「倉庫内部の情報が少な過ぎます。様々な作戦案が浮かんできましたが、その全てが倉庫と《偏西風ライダー》内部の構造が不明であるという事実によって、全部ゴミ箱行きになってます。今、倉庫内部の情報をザールから聞き出そうかという案も持ち上がっています」
「しかし、特別尋問を続けているのにもかかわらず、倉庫の内部構造については口を割ろうとしていない」
「その通りです」カルナス警部補は頷いた。「ですから、今、ザールに対して橙系統──」
「それだけは駄目だ」ラマンは何度も首を横に振った。「橙系統呪文を使って集めた情報が法廷で証拠として扱われないことぐらい、君達も知っているだろう? 手続き上『違法』と扱われ、公判が行えなくなる」
「不便ですな」サーレントは肩をすくめた。
「超法規的措置として認められないのでしょうか?」デニムが訊ねた。
「私や警視総監の一存では決定しかねる問題だな。内務大臣か皇帝陛下の御裁可が必要になる。しかし、それか出るまでには半日ほど掛かってしまうぞ。警視総監のほうは迅速なる作戦遂行を求めておられるのだが……」
「そんなの無茶です」カルナス警部補が反論した。「警視総監に言ってくれませんか、『人質を死なせたくないのなら、倉庫内部の情報がもっと分からないと駄目だ』って。焦る気持ちは分かりますが、犯人達のアジトの場所が特定できた以上、もっと情報を集めて、人質を殺さないような作戦計画を立てることが必要です。しかし、その為には、倉庫内部の情報が不可欠であり、その情報を得る為に最も簡単な方法が、橙系統呪文でザールの頭の中を覗くことなんです。人質となっていた女性達の家族が嘆き悲しむ姿なんて、これ以上は見たくありませんよ。遺体安置所でカッセル姉妹の遺体を引き渡した時に、御遺族の方が泣き崩れる姿をこの目で見ているんですから」カルナス警部補は警視庁の代表としてカッセル姉妹の葬儀にも参列していた。
 ラマンは腕を組んでカルナスの言葉を聞いていたが、やがて顔を上げると、小さな声で言った。「分かった。君達の要望は警視総監に話そう。警視総監や内務大臣の説得は私の責任で行おう」
「ありがとうございます」捜査官達を代表する形でカルナス警部補が頭を下げた。
「ただ……1つだけ気になることがある」
「何でしょうか?」サーレントが訊ねた。
「この捜査チームの中に、橙系統呪文に熟達した者はいなかったと思うのだが、それはどうするんだ? 許可が出たところで、肝心の使い手のほうが未熟だったとしたら、まるで意味が無いのだが。警視庁の中にも、橙系統呪文の使い手はそんなに多くはいなかったと思うぞ。私や警視総監だって橙系統呪文は使えないし」
「う……まあ……確かにそうですな」サーレントの顔には困惑の色が広がった。「確か、デニムは橙系統呪文は使えたとか話してなかったか?」
「一言も言ってませんよ」デニムは首を横に振った。「僕は橙系統呪文は知らないんです」
「ああ、そうか、すまん……。確か、俺の親しい知り合いの誰かが橙系統呪文のベテランだったとか言う話、どこで聞いたことがあるのだが……一体誰だったか……?」
「ひょっとして……私の父さんのこと?」セントラーザが躊躇いがちに口を開いた。

4999年4月5日 15:47
シルクス帝国首都シルクス、1番街、大蔵省4階、官房長執務室

「官房長、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わんぞ」ウィリアム・フローズンは、書類から目を離さずに応えた。
「失礼します」
 官房長付秘書は官房長の邪魔にならないよう、できる限り静かにドアを開けて室内に入った。そして、同じく音を立てないようにしてドアを閉めた。「本日の午後の御予定ですが、変更が入りました」
「変更?」ウィリアムは書類から顔を上げた。
「はい。本日午後5時から予定されています内務省施設部長との面会は明日に延期となりました。閣下には、その空いた時間を使ってシルクス警視庁を御訪問して頂きたいのですが」
「警視庁? なぜ私が?」ウィリアムは首を傾げた。
「分かりません。ですが、これは内務大臣と警視総監からの要請として伝えられています。イシュタル・ナフカス様の秘書の話ですと、『橙系統呪文の専門家である閣下のお力添えが必要不可欠になった』とのことですが……」
 ウィリアムは右手を懐の中に伸ばし、橙系統呪文の魔法発動体を持っていることを確認してから応えた。「犯罪者として出向くのではなさそうだ。それならば、断る理由もあるまい」

4999年4月5日 17:25
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室

「つまり、私に橙系統呪文を使って頂きたい、と仰るわけですか」
「その通りです」大蔵省官房長の言葉に警視総監は頷いた。「法律的には本来認められていないのですが、内務大臣から超法規的措置として、今回だけに限って橙系統呪文の使用が認められました。……ですが、非常にお恥ずかしい話なのですけど、我が警視庁には橙系統呪文の専門家と呼べる人材が誰1人としていなかったのです」
 ラマン秘書官によるイシュタル・ナフカス内務大臣に対する説得交渉は難航を極めた。彼女は法学者として原則論に拘り、橙系統呪文の使用には頑として首を縦に振らなかったのである。ところが、同席していた内務副大臣が、帝城から持ち帰った情報として、エブラーナ盗賊ギルドに対しては超法規的措置が認められたことを2人に教えたところ、彼女の態度が一変した。そして、内務省の省令という形で、暫定的に橙系統呪文の使用が認められたのである。この省令が正式に認められるには、皇帝ゲイリー1世の裁可が必要であり、現在はイシュタルとラマンの2人がゲイリー1世との会談に臨んでいる最中であるが、警視庁と内務省は皇帝の裁可を待たずに、橙系統呪文の使用に踏み切ったのだ。無論、彼らは超法規的措置が皇帝に認められることに絶対的な自信を抱いている。厳密には違法な行為であるが、「一刻を争う事態が進行しているのではないか」と考えた彼らは、内務大臣の許可をもらった上で、超法規的措置を実行に移すことにしたのである。
「誰もいなかったんですか?」
 警視総監の隣に立っていたセントラーザが答えた。「そうなの。今までは、捜査で橙系統呪文を使うことなんか、全然認められてなかったの。だから、みんな『橙系統呪文なんて要らないや』と決め付けて……。それが今日になって突然『橙系統呪文が必要だ』とかいう話が出てきたもんだから、しょうがなく父さんに頼み込むことになっちゃったのよ」
「デニム君は使えなかったのですか?」
「ええ。橙系統呪文は勉強していなかったんです」デニムは頭を掻きながら答えた。「僕が専門にしているのは紫系統呪文です。他の警視庁の方も似たようなものですから……」
 ウィリアムは苦笑いを浮かべた。「仕方ありませんな。娘の手助けだと思って、何とか頑張りましょう」
「御協力、感謝します」警視総監は深々と頭を下げた。「それでは、早速ザール・シュレーダーが拘禁されている場所に御案内しましょう」
 警視総監達の案内で、ウィリアム・フローズンは、ザールが磔にされている特別尋問室へと向かった。エブラーナ盗賊ギルドでデスリム・フォン・ラプラスがレマ・ドーストン・グロリアスに対し橙系統呪文を使った時と同様、彼の口にはボールギャグがはめられている。
「自殺防止用の措置は万全ですね」ザールの姿を眺めながらウィリアムが言った。「それで、私は彼からどのような情報を引き出せばよろしいのでしょうか?」
「北列2番倉庫──連続女性失踪事件の被害者達が監禁されていると思われる建物の内部構造と、倉庫に出入りしていた犯人達の顔触れについて、調べて頂きたいのです。方法は官房長にお任せします」
「……分かりました。それでしたら、この男の記憶を走査することにしましょう」
 ウィリアムは橙系統呪文の魔法発動体を右手に握り締めると、左手をザールの額に当てた。そして、目を閉じて精神を集中させ、ゆっくりと古代語の文章を音に出した。
「偉大なる精神の精霊よ、かの者の記憶を我に教え給え!」
 ウィリアムの懐から橙色の光が溢れ出る。次の瞬間、ザールとウィリアムの額に血管が浮き出て、彼らの額に脂汗が吹き出る。
人間の視覚に捉えられないところで、ウィリアムの魔力とザールの精神力が激しい攻防を演じていた。
「父さん、大丈夫!?」
 父親の姿に不安を感じたセントラーザが声を掛ける。だが、ウィリアムはその声に反応を示さず、精神集中を持続させた。そして、約30秒が経過してから、ウィリアムは突然目を見開き大声で叫んだ。「紙とペン! 早く!」
「は、はい!」
 警視総監の側で待機していた事務官が繊維紙と羽ペンをウィリアムに差し出した。ウィリアムは魔法発動体とザールの額から手を離し、繊維紙と羽ペンを受け取ると、猛烈な勢いで繊維紙に文字と地図を書き始めた。何かに取り付かれたかのように、ウィリアムは右手を動かし続けたが、20分ほど経過してから彼は手を止めて、古代語で叫んだ。「解除!」
 次の瞬間、ザールとウィリアムの額に浮き出ていた血管が元に戻る。ウィリアムは大きく息を吐くと、よろめいて壁に手をついた。
「父さん……?」
「ああ……いつやってもこれは疲れる……」娘の言葉にウィリアムは首を振って応えた。「情報を搾り出すのには成功した……今から、それを説明したいので……場所を移して欲しい……」
「分かりました!」警視総監は後ろを振り返った。「1階の談話室にお通ししろ!」
「あ、後もう1つ……」ウィリアムは懐に手を伸ばすと、銀貨の入った財布を取り出し、セントラーザに手渡した。
「財布じゃないの。どうするの?」
「何か美味しいものを買って来てくれ……腹が減った……」

4999年4月5日 18:14
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁1階、談話室

 談話室には、ティヴェンス警視総監、ラマン秘書官(この時には警視庁に戻っていた)、カルナス警部補、サーレント、デニム、セントラーザ、そして本日の「英雄」となったウィリアム・フローズンが集まっていた。彼らは談話室の長テーブルを囲むように座り、その中央には北列第2倉庫の地図が広げられていた。地図の脇には、つい先程まで7人が口に運んでいた軽食を乗せていた皿が積まれている。ウィリアムと警視庁が身銭を切って用意した食事であり、その他の捜査官達にも同じ食事が振舞われていた。
「これでやっと回復しました」ウィリアムが腹をさすりながら言った。「【サーチ・メモリー】という呪文は体力と精神力を激しく消耗する呪文でして、使った後はいつもこういった状態になってしまうんです」
「それは知りませんでした」ラマン秘書官が応えた。
「では、早速説明致しましょう」ウィリアムは体を前に乗り出すと、手を動かしながら説明した。「ザール・シュレーダーの記憶によると、問題の北列第2倉庫は、木箱によって大きく3つのブロックに分割されています。まず、正面出入り口に接する第1ブロック。ここは犯人達の居住空間になっており、食料や武器はここに集められています。その奥のブロックが、人質達が監禁されている場所です。ザールの話では、ここに20人全てが集められていたようです。この奥に第3のブロックがあり、ここは仮設トイレなどが設置されていたようです。ただし、ザールはこの場所に足を踏み入れたことが1回もなく、この場所は完全な謎に包まれています」
「完全な謎? ザールは一度も入ったことがない?」ティヴェンスは眉をひそめた。
「そうです。ザールの記憶では、この場所は犯人達や人質達がトイレを使う時だけに出入りする空間だそうです。普段の立ち入りは禁止されていたそうです。まあ、ザールがこのアジトを見たことがあるのは2回だけだそうですし、最後に見たのは3月17日早朝──彼がリデル・ベント巡査を殺害する数時間前のことでした。ですから、内部構造が変化している可能性は当然あるわけです」
「そいつは厄介ですね」サーレントが言った。
「ただ、2つほど有利な材料があります。これもザールの記憶に頼ることになりますが。まず第1に、犯人グループの中に魔術が使える人間は1人しかいないようなのです」
「つまり、どういうことなのですか?」カルナス警部補が訊ねた。
「単純に言えば、敵の魔法戦力が想像していたよりも小さそうだ、ということです。5種類ある魔法の中で最も警戒するべきなのは、呪文のレパートリーが多彩な魔術ですからね。実際には、他の系統の魔法──神聖魔法とか風水術が使える人間がいることも考慮しなければならないのですが……。そして第2に、無人になっている可能性が高い空間が用意されている点です。先程御説明しました、ザールが立ち入らなかったという第3のブロックのことです」ウィリアムは倉庫の最深部を指差した。
「侵入するとなれば、ここから入るわけですか」デニムが言った。
「はい。この図面によれば、無人となっている第3のブロックには、窓が1ヶ所だけ取り付けられているようですね。正面からの強行突破という手法を使わないのでしたら、この窓が人質救出部隊の突入口になるはずです。あらかじめ、幻覚呪文を辺り一帯に掛けて音を消した状態にしておいて、この窓を壊して中に潜入、第1ブロックではなく第2ブロックを先に制圧してから犯人達と対決──というシナリオも考えられます。この場合、人質を背にして戦うというデメリットを負うことになりますが、正面から強行突入する時と比べれば、人質の被害は低く抑えられるでしょう。金系統呪文の専門家がいましたら、彼の使い魔を幻影呪文で透明化させ、倉庫内の偵察をさせることも可能です。そうすれば、人質の被害は更に低くなります。警視庁内には、金系統呪文の専門家の方は何人かいるでしょう?」
「それなら手配できます」ラマンが請合った。
「是非して下さい。これで人質の犠牲が少なくなるんですから」
「《偏西風ライダー》の情報はありましたか?」警視総監が訊ねる。
「メモにも書きましたが、ザールは全く知らないようです。知っているのは、犯人達がそういう名前の船でシルクスにやって来たことぐらいですな。内部構造を知りたかったら、倉庫と同様、使い魔を透明化させないと無理でしょう」
 ウィリアムの報告を聞いたティヴェンスは深々と溜息を吐いた。「ならば仕方無い。先に、北列第2倉庫と《偏西風ライダー》に捜査官を派遣して、内部構造を調べることに全力を傾けよう。作戦はフローズン官房長の提案に手を加えたものにする。窓から捜査官の一部を忍び込ませた後、合図で同時に2方向から攻撃を掛ける。これで良いな?」
「うーん、別にそれで良いとは思うんですが……」サーレントが言葉を濁らせた。
「どうした? 何か問題点があるのかね」
「フローズン官房長の攻撃案ですと、裏口から潜入する部隊には、唯一の幻覚呪文の使い手である橙系統呪文の専門家が必要不可欠です。その問題はどうするんでしょうか?」
 サーレントの指摘を聞き、警視庁の人間達は互いに顔を見合わせた。そして、申し合わせたかのように、全員の顔が一斉にウィリアム・フローズンに向けられた。
「………………セントラーザ、これは悪い冗談か?」
「冗談で済めば良かったと思うけど……そうじゃないみたい。本当に申し訳無いけど……私達の仕事、もう少し手伝ってくれないかしら? 可愛い娘のお手伝いだと思って。この通り、お願いします!」セントラーザはウィリアムに手を合わせて頭を下げた。
 ウィリアムは懇願するような表情を見せている警視庁の捜査官達を眺めると、苦笑混じりの表情で言った。「私に拒否権は与えられてないようですな」

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『異端審問所の記録』目次 / 登場人物一覧
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