本編(37)
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4999年4月6日 13:47
シルクス帝国首都シルクス、帝城、タンカード神殿総本山、最高司祭執務室
「ジョン様! ちょっとお待ち下さい!」通信用クリスタルの中でガーラル・シモンズ司祭が叫んだ。
「何が悪いのかね?」通信用クリスタルを見つめる最高司祭の声は落ち着き払っていた。
「フォルティア・クロザックをエブラーナで──」
「それ以上言うな」ジョンは手でシモンズを制した。「シモンズ司祭が懸念を表明する気持ちは私も十分に理解している。しかし、シルクス帝国とタンカード神殿の権威を守り、誕生して間も無い新国家の体制を維持する為には、一連の事件の情報ができる限り外に漏れ出さないようにしなければならん。しかし、それは不可能と分かった以上、それは不可能。だから、人身売買を全てダルザムール帝国のせいにして、タンカード神殿が責を負うのは訴権乱用のみに限らねばならん。そして、人身売買にタンカード神殿が関わっていたということを知る者はできる限り減らさねばならん。人質になっていた女性達はともかく、人身売買に関わっていたあの女をどうすべきか……これ以上、私に話させる気かね?」
「しかし──」
「フォルティア・クロザックは実際に罪を犯している。人殺しだ」ジョンはクリスタルに顔を近付け、声を落として言葉を続けた。「……私の意見に何か問題でもあるのかね?」
「いえ……しかし……、私の記憶が正しいとすれば、タンカード様の経典であらせられる『竜の言霊』では、暗殺は禁じられていたはずです。今回のフォルティア・クロザックに対する処置の御提案は、明らかにその規定に抵触するのではありませんか?」
「それはタンカード様にお伺いを立てた。【ディビネーション】による儀式だ。そして、タンカード様の御許可を頂いたのだ」
通信用クリスタルによる会談の47分前、ジョンはタンカード神殿総本山の最深部にある「拝謁の間」にて、【ディビネーション】の儀式を行っていた。自らが崇め奉る神に対し、現世で発生している出来事について直接「お伺い」を立て、神自らの手によってその是非を判断してもらうのであった。そして、ジョンは儀式の中で、一連の不祥事の報告を行った上で、監督責任者としての自分の罪を告白して許しを乞い、バイロイト修道会全体に対する破門宣告とフォルティア・クロザックに対する「処置」の是非を訊ねたのである。火竜タンカードの返答は明確であった──「汝の行いを是とする」と。
神聖魔法の魔力の供給源であり、この世界に住む人々の宗教的崇拝の対象となっている神々であるが、彼らは信者各個人の行動を常に監視しているのではない。神々は志を自らと一とすることを表明した人間に対して魔力を供給するのみであり、地球の人間を監視することは無かったのである。もし、自らの教えに逆らった人間が現れた場合、その不信心ぶりは神聖魔法の威力低下──場合によっては発動しなくなる──という形で反映されていたが、神がその人物に対して直接裁きを下すことは滅多に起こり得なかったのである。その事情は火竜タンカードとて同様であり、バイロイト修道会による一連の不祥事についても、ジョンによる報告がなされるまで、神は事情を知らなかったのである。
ジョンによる儀式によって事情をはじめて知らされたタンカードは、火を司る神に相応しい程の激しい怒りを見せた。火竜タンカードの血を濃く引いていたジョンも、自らが崇める「祖先」が激昂する姿を見て、恐怖ばかりではなく生命の危険すら感じたのである。だが、怒りが収まった後のタンカードは、怒り狂う姿からは想像もつかないほど冷静な判断を下した。火竜タンカードは戦争を主として司る神であるが、何よりもまずシルクスとテンペスタ家の守護者であった。そして、一連の騒乱によって新たなる秩序と新国家の体制が揺らぐことを懸念し、ジョンの献策を受け入れたのである。また、タンカード神殿に伝わる教典『竜の言霊』の中には、暗殺術を「卑怯な戦い方」として使用を禁止する規定が用意されていたが、タンカードは「適法な処理ならば良し」とジョンに伝え、暗殺術禁止の規定の例外として今回の措置を容認したのである。
「本当なのですか? 私にはまだ信じられませぬ……」
政治家であるよりもまず騎士であると自認していたシモンズ司祭にとっては、ジョンの出したアイデアは常軌を逸している──少なくてもタンカード神の聖職者が出すべきアイデアではないと考えていた。そして、タンカード神が自らこの決定を支持したことも俄かには信じられなかった。火竜タンカードの教えに騎士道精神を見出していた(と思っていた)彼にとっては、自分の築いてきた価値観が崩壊しかねないような出来事である。
「とりあえず、この案は試案に過ぎん。今から、陛下に奏上申し上げよう。それから、この件は内密にすること。異端審問所で働く宗教学者や、ゾルトスの司教などには一言も漏らすな」
ジョンはシモンズ司祭の言葉を待たずに通信用クリスタルの回線を切断した。
4999年4月6日 18:45
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室
「これが最終計画案です」
キロス・ラマンはそう言って繊維紙の束をナヴィレント・ティヴェンスに手渡した。ティヴェンスは繊維紙の束──作戦計画案を受け取ると、早速ページを捲り始めた。
「かなりの力作だな」
「はい。軍務省の御協力も頂きました」ラマンの目の下には隈ができていた。「作戦行動は同時に17ヵ所で行われます。今回の作戦に動員される人員は警視庁の捜査官58人と魔術師ギルドからの応援10名、シルクス盗賊ギルドからの応援5名、通産省の係官1名、外務省から通訳1名、皇帝直属軍からの応援60名、ゾルトス神殿からの応援1名、タンカード神殿からの応援が10名の合計……ええと……」
「146人」応接用のソファに腰を下ろしていたウィリアム・フローズンが答える。彼は4月9日までの公休を取っていた。
「すみません。その、合計146人で行われます。攻撃──じゃなくて捜査対象となる場所は、人質達が監禁されていると考えられる北列2番倉庫、停泊中の《偏西風ライダー》号、レストラン《ブルーエルフ》、ソレイル・ギスティム邸、ダリル・ギスティム邸、元バイロイト修道会本部、ギスティム兄弟を除く元バイロイト修道会幹部の自宅11ヵ所、そしてアーサー・フォン・ランベス邸です。我々警視庁の捜査官は、《偏西風ライダー》号と北列2番倉庫、元バイロイト修道会幹部の自宅13ヵ所を担当します。ギスティム兄弟については、我々が連中を逮捕することになりました」
「大蔵大臣は逮捕するのか?」警視総監は繊維紙から目を離さずに訊ねた。
「いいえ。これは自宅軟禁にする為の措置です。タンカード神殿からは、バイロイト修道会の幹部全員に対する免責特権の剥奪が極秘裏に完了したと伝えられています。ランベス枢機卿については、ジョン様がまだ迷っておられるようでして、逮捕するのかどうかが確定しておりません。ですから、一旦自宅を取り囲んで、軟禁状態にするというわけです」
「口実は?」
この質問にはウィリアムが答えた。「訴権乱用の共犯ということになります。とりあえず、《7番街の楽園》で発生した冤罪事件が口実です」
「連続女性誘拐事件との関連はどうなるのです?」
「今回、タンカード神殿からの援助の条件が『連続女性誘拐事件とタンカード神殿の関係を一旦棚上げにする』というものでしたから、致し方ありませんでしょう。タンカード神殿側は、連続女性誘拐事件との関連を全て闇に葬り去るつもりでして、おそらくはその筋書き通りに事が進むものと思われますな」
ティヴェンスは苦虫を潰したような表情を浮かべた。「政治という奴ですか……」
「そういうことです」そう言って頷いたウィリアムの表情も冴えなかった。
警視総監は首を横に振った。「……いや、このことは後回しにしましょう。……それで、作戦開始時刻は?」
「明日の午前4時30分からになっております。突入前の訓練を行うだけの時間は用意できませんが、それは致し方ありません。犯人達の目的が分からない以上、今夜にでも女性達の搬送もしくは殺害があると睨んで行動しなければなりません。私とフローズン官房長も実戦部隊として参加することになっています」
「あと9時間……それだけあれば、銃の手入れも可能だな」
警視総監の言葉に、2人の男達の目が大きく見開かれた。
「あの……総監?」ラマンが恐る恐る訊ねた。
「私も作戦に参加するぞ」
4999年4月6日 21:10
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、盗賊ギルド長執務室
「…………殿、……ラン殿、聞こえるか?」
愛用の七つ道具の手入れをしていたジスランは、机の引出しの中から聞こえてくる声を聞き、我に返った。
──陛下の声だ。何があったんだろう?
ジスランは布と鍵開け用の針金を机の上に置くと、懐から鍵を取り出し、最上段の引き出しに取り付けられている鍵穴に指し込んだ。鈍い金属音が響き渡ると、盗賊ギルド長は引き出しを素早く開け、無数に転がっている通信用クリスタルの中から、光を発している水晶球を取り出し、机の上に置いた。透明な球体の中には、彼の唯一の上司であるシルクス帝国皇帝の顔が映し出されている。
「突然で申し訳無い」
「いや、こっちも暇だったから、別に構わない」ジスランは皇帝と会話しながら、開いていた引き出しを閉めた。「それで、どうしたんだ?」
「一連の事件に対する最終的な指示だ」
「『指示』?」ジスランは眉間に皺を寄せた。その間、彼の右手はゆっくりと動き、引き出しを音も無く施錠した。
「表現が悪かった。……いずれにせよ、シルクスで発生していた連続女性失踪事件の解決が山場を迎えてているから、その報告をしなくてはならない。既に、シルクスの要員や警視庁から話を聞いているかもしれないが、事件の黒幕はダルザムール帝国の煙草商人バルディオス・グレディアと、タンカード神殿バイロイト修道会元会長のソレイル・ギスティム大司教。それぞれの黒幕の下部組織に属する人間が実行犯だ」
「聖職者が犯人……あのバソリー司教の戯言が本当だったわけか……」
「結果としてはそうだ」皇帝はクリスタルの中で頷いた。「シルクス警視庁と皇帝直属軍の合同チームによる大規模な掃討作戦が、明日の午前4時半から開始される。シルクス帝国建国以来、最初の準軍事作戦になる」
「ちょっと待て、陛下。準備は大丈夫なのか?」
「おそらくは大丈夫だと思う。訓練の時間は無かったが、今回は時間との戦いになっている以上、多少の無理を押してでも事件を早く解決したい──内務大臣や警視総監はそう考えている。余も全く同意見だ。つい先程、内務大臣から作戦案を見せてもらったのだが、中々の出来映えだった。多少の犠牲は覚悟せねばなるまいが、この計画ならば犠牲者も少なくて済みそうだ」
「それを聞いて安心したよ」
「だと良いのだがな」ゲイリーは軽く溜息を吐いた。「実は……作戦と同時進行で、エブラーナ盗賊ギルドのほうにあることを頼みたいのだが、良いかね? フォルティア・クロザックの件だが」
「俺達は何でも大丈夫だ」ジスランは自信を持って答えた。「しかし、陛下……その御様子じゃ、あまり気が進まないようだな」
「さすがに分かるか」
「それが俺達の商売だしな。それで、御依頼の内容は?」
「彼女の『処分』だ」
ジスランが皇帝の遠回しな表現の真意を汲み取るまでには、10秒を越す時間が必要だった。
「陛下、それは──」
「連続女性誘拐事件の責任は全てバルディオス・グレディアに押し付け、タンカード神殿の人間は全て訴権乱用の罪によってのみ裁く。無論、逮捕された人間が次に太陽を拝めるのは来世の話になる。しかし、この処置を行い事件を『最終的に』『解決する』為には、連続女性誘拐事件とタンカード神殿の関連を知っているフォルティア・クロザックの存在がどうしても邪魔になる。警視庁の捜査官や被害者の女性達は、余の部下達が『説得』にあたるから心配は要らない」
「しかし、だからと言って、フォルティア・クロザックを──」
「『殺せ』とは言わなかったぞ」皇帝は盗賊ギルド長の言葉を遮った。「『彼女の命を奪え』とは一言も口に出していない。ここから先は、ラプラス教授への『宿題』ということにしよう。頼むぞ」
反論を続けようとしたジスランを無視するかのように、通信用クリスタルの映像が一方的に消えた。
──無罪放免になってめでたしめでたし、にはならなかったか……。
ジスランは何も映し出さない通信用クリスタルを無言のまま見つめていた。
シルクス警視庁と異端審問所との連絡が開始され、シルクスとエブラーナで事件が解決へ向けて急展開を見せ始めてからも、ジスランは「このまま事件は単純に解決されるはずが無い」という懸念を心のどこかで抱いていた。図らずも、この懸念が的中してしまったのだが、フォルティア・クロザックの「処分」を皇帝から依頼されることになろうとは、全く考えていなかったのだ。
──ラプラス教授への「宿題」ということだが……教授にも解けるのだろうか? フォルティア・クロザックを「殺さずに」「処分する」方法が一体何なのか……?
4999年4月6日 22:42
シルクス帝国首都シルクス、3番街、セントラーザ・フローズン邸
夫と娘の帰宅を待っていたリディア・ミントス・フローズンは、部屋の一角に立て掛けてある時計に目をやった。もうすぐ午後11時である。
──警視庁で泊まり込みだとは聞いてたけど……大丈夫かしら……。
大蔵省の大物官僚である夫と、警視庁の捜査官である娘。2人の徹夜・朝帰りは日常茶飯事になることはリディアも十分に承知していた。しかし、1人だけで夜を過ごすということは、不安感と寂寥感を彼女に与えていた。慣れてしまったとはいえ、夫や娘の帰宅を待ち侘びる気持ちはいつも変わらなかった。1人で食べる夕食、話し相手のいない食後の団欒、そして片側半分が冷えたままになっているダブルベッド……。
──連続女性失踪事件が解決するまでは、一家団欒もお預けだわ……。
リディア椅子から立ち上がると、夫妻の寝室へと向かった。そして、部屋にある窓から外を見て、2人が帰ってきているのかどうかを観察しようとした。だが、彼女は窓から外を見た時、街灯の影になった部分で「何か」が動く様子を視界に捉えた。
──誰かがいるわね。私達の家を見張っているのかしら……?
彼女は首を振り、自宅アパート前の道を観察した。そして、自宅から30mほど離れた場所に、シルクス警視庁の巡回兵の姿を確認することができた。彼(彼女)はこちらへ向かって歩いてきている途中である。
──丁度良かったわ。
彼女は窓を閉めると早足で今に戻り、テーブルの上に置かれていた護身用のレイピアを手に取った。そして、音を立てないように注意を払いながら、1階へと駆け下りた。
「リディア・フローズンさんですか?」
1階に降りた彼女を待っていたのは、彼女が自宅の窓から確認したシルクス警視庁の巡査であった。
「え? あ、はい、そうですが」
「御主人と娘さんから伝言を預かって参りました。『明日の夜まで残業が続く』とのことです」
「そうですか……分かりました。わざわざお知らせして頂いてありがとうございます」
「いえ、これも本官の任務であります。ところで、貴方のほうは何かあったのでしょうか? 御主人と娘さんからの伝言を聞きに下りてこられたようには見えませんでしたが……」
巡査の言葉を聞き、リディアは自分の本来の用事を思い出した。「……そうだわ。実は──」
4999年4月6日 22:45
シルクス帝国首都シルクス、3番街、セントラーザ・フローズン邸前の路上
警視庁の巡回兵と中年の女性が、2人の隠れている街灯の側へと近寄ってきた。
「お、おい。どうする?」1人が小声で訊ねた。
「逃げるか?」
「ちょっと待て。逃げるったって、背後は壁だぞ」男はそう言って背後を指差した。彼らの背後にあるのは煉瓦造りの4階建ての建物である。
「だとしたら、左右に分かれて──」もう1人が左右を見回した。
「……ああ。だったら、俺はあっちに行くから、お前は──」
この時、彼らは正面からやってきている2人の男女のほうに注意を向けていなかった。脱出路を探すのに気を奪われていたのである。このことが、彼らの命運を決してしまうことになる。
2人に中年女性──リディア・ミントス・フローズンの声が掛けられた。「ちょっと、何してるの?」
「え……あの……何でもありま──」
男達の1人は挨拶もそこそこに慌てて逃げ出そうとした。だが、彼の眼前に銀色に光る刃が突き出され、その動きは止まってしまった。
「ふむ……覗きの趣味があるのですか」巡査の持つブロードソードは男性の眉間に突き付けられていた。「若い男性が柱の影に隠れて人の家を見張る……この上なく怪しいですね。誰を見張ってたのか、詳しい話を伺ったほうがよろしい……っと、武器は下ろして」巡査はそう言ってもう1人の男性に鋭い視線を投げ掛けた。既に、彼の側には抜き身のレイピアを構えたリディアが移動している。
「…………と、とりあえず、血は見たくねえ……なあ……」
「あ、ああ……」
男達はそう言うと、恐る恐る両手を上げた。
4999年4月6日 23:37
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室
人質救出作戦の決行を約5時間後に控えた捜査官達は、全員が作戦の最終確認の為に、捜査本部の置かれていた第2会議室へ集められていた。会議室の中では、それぞれが受け持つ建物毎に小さな人垣が作られ、その輪の中央に建物の見取り図などが広げられていた。このうち、作戦全体の中で最も重要な部分を占める7番街北列2番倉庫の攻撃を担当する部隊には、デニムとセントラーザの他に、ティヴェンス警視総監とフローズン大蔵省官房長も加わっていた。どちらも、本来ならばこのような準軍事作戦には加わるべきでない場違いな人間であったのだが、今回は作戦の規模と警視庁の人員不足が原因で、彼らのような政府高官までもが駆り出されていたのである。
「午前4時30分に鳴らされる半鐘を合図にして、17ヵ所で同時に摘発作戦が開始される手筈になっています。この後の行動ですが、先程も説明致しましたように──」
「官房長!」
人垣の奥から男性の声が上がる。ウィリアム・フローズンはその声を聞いて口を休め、男性の言葉の続きを待った。
「官房長! 奥様がお見えになっています! お連れの方もいらっしゃるようですが」
「……分かりました」
ウィリアムは人垣を掻き分けて輪の外へ出た。少し遅れて、デニムとセントラーザも続く。
「リディア、どうしたんだ? 今は作戦会議中だぞ」
「家の前に怪しい人達がいたのよ」
リディアはそう言うと、彼女の足元に座らされている男性2人を指差した。体はロープによって縛られており、その縄尻はリディアの隣に立つ巡回兵によって握られていた。
「この2人……悪人面には見えませんが……」デニムが男性の顔を覗き込みながら言った。「リディアさん、何があったのですか?」
「この2人が私の家のことをずっと見張っていたんです。何の目的なのかは分からないけど」
「監視? 本当ですか?」
デニムの質問に対し、リディアと巡回兵は頷いた。捕縛された男性2人は怯えた表情を顔に浮かべたまま何も答えない。
「動機は分からないのか?」ウィリアムが訊ねる。
「それが全然教えてくれないのです」巡回兵が答えた。「ここへ2人を連れてくる途中に色々と聞き出したのですが、何の目的でフローズン邸を見張っていたのかという、肝心の動機の部分を全く教えてくれないのです。まあ、ろくな目的じゃなさそうなのは確かですが……」
「セントラーザ、どうする?」デニムは隣を向いて訊ねる。
「時間が無いからねぇ……。とりあえずは、警視総監をお呼びして、それから特別尋問の許可を──」
「と、特別尋問……?」男達の1人が震える声を出した。
「素直に話せば大丈夫。私もそこまで手荒な真似が好きというわけじゃないから。でも、返答次第じゃ……分かってるわよね?」セントラーザはそう言って口の端を歪めた。
「わわわわ分かった、分かったから、拷問は無しだ! 頼む!」男達の1人が懇願を始めた。
「ちょ、ちょっと待て、いいのか?」もう1人の男が隣を向いて訊ねた。
「今話さなかったら、もっと大変なことになる。だって、目の前の女をさらおうとしてたなんて──」
辺りが水を打ったようにな静かになる。男達の正面に立っていたセントラーザは僅かに眉を動かした。
「私を誘拐するって……まさか……?」
男の1人が恐る恐る頷いた。「……そ、そうだ。あんたが20番目の犠牲者──」
「ということは、あなた達って、連続女性誘拐事件の犯人達の一味なわけ?」
男達は互いに顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。
「へえ……そうなんだ……でも、シルクスではあまり見かけない顔だわ。顔立ちも私達とは少し違うし。……ひょっとして、ダルザムール帝国から来たの?」
「ええと……まあ、そういうことになるな……」
「なるほどね……」
「セントラーザ、大丈夫なのか?」あまりに冷静なセントラーザの反応を見て不審に思ったウィリアムが訊ねる。「この男達は、よりにもよってお前を誘拐してダルザムールに売り飛ばそうとした大悪党なんだぞ。怒ってないのか?」
「こんな下っ端に怒りをぶつけても仕方無いわ」セントラーザは肩をすくめた。「いい気がしないのは当然だけど、悪いのは親玉だから、その時まで怒りはとっておくわ。それに、この人達は大事な『客人』でしょ? 乱暴に扱うわけにはいかないのよ」
「客人? どういう意味なの?」リディアが訊ねる。
「だって、この人達だったら、《偏西風ライダー》号と北列2番倉庫の正確な間取りを知ってるんじゃないのかしら?」セントラーザは男達に顔を向け、凄みのある笑みを浮かべた。「あなた達も当然協力してくれるわよね? 協力しなかったらどうなるか……それも十分に分かってるわよね?」
容疑者達のすぐ側に立っていたデニムには、彼らが生唾を飲みこんだ音が聞こえたような気がした。
4999年4月7日 03:59
シルクス帝国首都シルクス、7番街、ソレイル・ギスティム邸から175m離れた路上
ソレイル・ギスティムの逮捕を担当する部隊を指揮することになったニベル・カルナスは、胸を軽く叩いて、逮捕状が懐の中にあることを再確認した。連続女性誘拐事件と《7番街の楽園》冤罪事件の両方に関わっていたとされる最重要人物の逮捕劇であり、カルナス達に失敗は決して許されなかった。
──あの男を生きて警視庁に連れて帰るのが私の任務。奴には生き恥を晒したまま死んでもらわねばならん……。
カルナスは天を仰いで溜息を吐いた。
──それにしても、あまりに血を多く見過ぎた事件だった……。
シルクスで発生した連続女性誘拐事件では、これまでに多数の人間の命が奪われていた。人質だったエレハイム・カッセルとソフィア・カッセル、《ブルーエルフ》料理長アルザス・フォーリーとその妻、そしてザール・シュレーダーに刺し殺されたリデル・ベント巡査。その数は合計で5人に上っていた。犯人グループの一味だったダルクレント・パロスとエドバルト・ゼルス・ガートゥーン、自殺したバーゼルスタッド・フォン・シュレーダーを含めれば、死者は8人となった。そして、この夜も、更なる犠牲者が出るかもしれなかったのである。カッセル姉妹の葬儀に出席し、リデル・ベントが息を引き取った現場に「居合わせていた」彼にとっては、これ以上の罪無き人の犠牲は到底容認できなかった。
「警部補、準備ができました」皇帝直属軍の大尉がカルナスの隣で報告した。
「分かりました。では、合図があるまでここで待ちましょう」
「了解」
4999年4月7日 04:07
シルクス帝国首都シルクス、シルクス港、第4桟橋から75m離れた路上
「申し訳ありません。クラム村ではなくシルクスでもお世話になるとは」
そう言って頭を下げるサーレント・スレイディーの隣には、通商産業省タバコ部外国取引課長シルヴァイル・ブロスティンの姿があった。他の警視庁の捜査官達に倣い、この通産官僚も完全武装した姿で一向に同行していた。腰からは、彼の得意武器である(と思われる)シミターが下げられていた。
「いえ、それは遠慮なさらずとも結構です。しかし……《偏西風ライダー》号が人身売買に関わっていたとは、全く考えもしませんでした。何せ、彼らは文句の1つも言わず、関税やシルクス港の経費を、滞納すること無く全て払って下さっていたのですから、我々通産省や大蔵省の人間にとっては、模範的であり優等生のような存在だったんです」
「それが隠れ蓑として適当だった、ということです」サーレントは頷いた。「違法行為に全く手を染めていなければ、我々からのマークは免れますからね。シルクスで人身売買のビジネスを続ける以上は、自分達に疑いの目を向けられるような事態はできる限り避けなければならなかったんでしょう。……それはそうと、課長のお仕事はお分かりですね?」
「ええ」ブロスティンは頷いた。
通産省タバコ部外国取引課長の任務とは、バルディオス・グレディアと《偏西風ライダー》号から、シルクス国内におけるタバコ取引免許を剥奪する旨を宣言する役回りであった。シルクス帝国とダルザムール帝国の間に結ばれた貿易協定では、シルクス帝国が取引免許を与えた外国企業の船舶は、たとえその船がシルクス帝国の港湾に停泊中だったとしても、法的には船舶の本来の所属国──ここではダルザムール帝国の領土の一部として扱われることになっていたのである。シルクス帝国の官憲がダルザムール帝国から来た船である《偏西風ライダー》号に立ち入るには、数日掛けてダルザムール帝国の同意が得られるのを待つか、取引免許を剥奪して直ちに踏み込むかのいずれかしか方法が残されていなかった。そして、今回、シルクス帝国は荒療治である後者の道を選んだ。
「それはそうと……」ブロスティンは声を落とした。「イングラス事務官とフローズン巡査、あの後どうなりました?」
「全ては事件が解決してからですな。今のところは順調に進んでいますが……結婚はまだ先のことになりそうです」
「仲人は警部補が?」
サーレントは咳払いした。「結婚式の段取りが決まってからお知らせしたいと思っています」
「そうですか。それは楽しみですな」
この2人の間では、デニムとセントラーザの「婚約」は既定事実となっていた。無論、本人達には、「自分達が2人の間を取り持った」という自負がある。
「話を元に戻しますが」サーレントが言った。「実は、深夜になってから、船の正確な見取り図が入手できたのです」
「本当ですか?」
「はい。リディア・フローズン夫人が、フローズン巡査を誘拐しようと待ち構えていた一味を発見して捕まえたんです。その後、警視庁で司法取引を行った上で、彼らから情報を聞き出したんです」
「それで、先程見せられた作戦計画案が精密に作られていたのですか」
サーレントが無言で頷いた時、彼らの前方にローブを被った女性が現れた。シルクス魔術師ギルドから派遣された、橙系統呪文と金系統呪文の専門家である。その肩には1羽の烏が止まっている。
「偵察結果はどうでしたか?」サーレントが訊ねる。
「作戦計画に書かれていた図面と全く同じでした。小物の配置などには変化がありましたが、作戦計画そのものには問題が無さそうです。魔法性トラップも設置されていませんでした。ただ、1つだけ気になることがあるのですが……」
「何か問題でも?」
「当初の作戦計画で考えられていたよりも、敵の人員が少なそうだったということです。私が拝見した計画では、こちらには30人前後が寝泊りしており、敵首領であるバルディオス・グレディアもこちらで休んでいるものと考えていたのですが、私のクロウ君が偵察したところでは、グレディア船長をはじめとする上級船員の姿は認められませんでした。人数も20人程度だと思われます」魔術師の肩に止まっていた烏が小さく鳴き、彼女の言葉に同意を示した。
「ということは……?」
サーレントはそう言って、首を東に向けた。
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