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4999年4月7日 10:13
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、応接室

 帝都シルクスを震撼させていた連続女性誘拐事件が解決したという情報は、5時間以上経ってからエブラーナにも伝えられた。
「──ということだそうです」
 ヨルド・ラフディアスによる報告を聞き、応接室の中では小さな拍手も起こっていた。
「これで全部終わったわけですか」マンフレートが言った。
「とりあえずはそういうことになります。事件の黒幕とされていた《偏西風ライダー》号乗員とバイロイト修道会元幹部は全て逮捕されています。逃げている犯人が数人残っているそうですが、彼らは全員『小者』だということですので、事件はこれで全て解決したと見てよろしいでしょう。シルクス警視庁では事情聴取が行われているはずですが、証拠と証人が山ほど揃えられているのですから、裁判の結審まで時間は大して掛からないでしょう」
「冤罪事件も解決するのかしら?」キャサリンが訊ねる。
「一応はそうなります」ラフディアスは頷いた。「バイロイト修道会元幹部の逮捕容疑は訴権乱用──《7番街の楽園》の6人をナディール教徒として告訴したことです。今回の場合、罪も大分重くなるでしょう……。おそらくは、異端者と同じように、街頭で火炙りに処せられるのではないでしょうか」
「結構残酷なのね」
「訴権乱用の罰則は『偽の訴えが認められた時の罪の重さによって決められる』ことになっています。今回は、バディル勅令違反ということですから、死刑になっても誰も文句は言わないでしょう。現に、彼らは6人に異端者の濡れ衣を着せて殺そうと図ったのですから。ジョン様も彼らを切り捨てることには何の躊躇いも見せていないようです」
「じゃあ、6人も無事に釈放──」
「それは無いだろう」
 今まで無言を守っていたラプラスが突然口を開いた。
「教授、どういう意味です?」マンフレートが訊ねる。
「今、副ギルド長からの報告を聞いた限りでは、バイロイト修道会元幹部の逮捕容疑は誘拐事件への関与ではなく、訴権乱用に限られているということじゃないか。誘拐の『ゆ』の字も出ていない。……つまり、シルクスのお偉方がバイロイト修道会に対して罰を下すことは間違い無いが、彼らと誘拐事件の関連を闇に葬り去り、彼らが誘拐事件に関わっていたという『罪』の『一部』は認めないつもりなのだろう」
「それが6人とどう関係するの?」
「少し考えれば分かる話だ。冤罪ということで逮捕された6人だが、あの中に1人だけ、連続女性誘拐事件と関係する人間がいる。残り5人が無事に無罪放免になることは疑う必要も無いとは思う。ただ、あまり考えたくはないが、シルクスのお偉方がその1人を消そうとして何か企んでいるとしても不思議ではあるまい」ラプラスはジスランのほうを向いた。「盗賊ギルド長、帝都から何か連絡を受けていますね? フォルティア・クロザックの処遇について」
「……その通りです」ジスランは頷いた。「皇帝陛下からの御命令です。フォルティア・クロザックを『処分』せよ、と」
「『処分』?」マンフレートが聞き返した。
「ええ。しかし、陛下は同時に『殺せとは一言も命令していない』と付け加えられています。で、ここから先はラプラス教授への宿題、ということになっています」
「私への……宿題?」
「そうとしか仰っていません」ジスランは頷いた。
「フォルティア・クロザックの処遇に関して、私に対して全権委任がなされた、と解釈しても良いのですか?」
 ジスランは腕を組んでしばらく考えた後、首を横に振った。「違うと思います。少なくても、陛下は『処分』の御命令を下すことに対して、躊躇いを見せていまた。まあ、これは俺の推測になってしまいますが、タンカード神殿側が強硬に『処分』を主張して、陛下がそれを受け入れざるを得なくなったのでしょう。今のこの国の政情では、有り得ない話ではないはずです」
「でも、ひどい話には変わりないわね。秘密を守る為に罪も無い女性を1人殺すなんて。これでは、連続女性誘拐事件の犯人達と同列になってしまうじゃないの。……まあ、考えてみれば、犯人達の中にもタンカード神殿の人間が混ざってたそうだから、元から同列だったらしいわね」
「今の発言は聞かなかったことにしましょう」ラフディアスが穏やかな口調で言った。
「だとすると、皇帝陛下の御意志とは……?」マンフレートが誰に対してでもなく訊ねる。
「多分、こういうことだろう。連続女性誘拐事件とタンカード神殿の関連性を消すことには賛成、何らかの形でフォルティア・クロザックを『隔離』することにも賛成されている。フォルティア・クロザックの命を奪うことに対しては御反対だそうだ。ただし、タンカード神殿側はフォルティアの首を求めている節がある……」
「俺もそうだと思います」ジスランが頷いた。「しかし、この命令……どうすべきでしょうか?」
「あの子を殺すのには反対よ。でも、この国の中に居残らせる限り、タンカード神殿が彼女の身柄確保を狙って行動を起こす可能性があるし……。何とかして助けられないの? 理想を言えば、タンカード神殿が自分達の非を認めてくれることだけど……」
「今のシルクス帝国の政情で、そのことを期待するのは無駄以外の何物でもない」ラプラスははっきりと言い切った。
「だとすると……彼女を殺すの?」
「それもない。確かに、シルクスで彼女は犯罪を犯しているが、それは正当防衛ということで情状酌量ができる範囲内だ。内務省や警視庁が彼女を起訴しない可能性もある。つまり、法律上、彼女は罰に値するだけの罪は何1つ犯しておらず、普通ならば無罪放免で釈放されるべきことになる。殺すなんて論外だ」
「だとすると、変装みたいなカモフラージュをして、彼女を釈放することになるのでしょうか?」マンフレートが応える。
 ラフディアスが首を横に振った。「変装程度では不十分です。戸籍の偽造なども必要になります。ですが、それよりも大事なことがあります」
「大事なこと? 何なのかしら?」
「フォルティア・クロザックの首を欲しがるタンカード神殿を黙らせる唯一の方法です。……分かりませんか?」
 マンフレート、キャサリン、ジスランの3人はラフディアスの言葉に首を傾げていた。
「……ああ、なるほど。そういうことだな」ラプラスは合点がいったという表情を浮かべていた。
「教授、何なんです?」
「フォルティア・クロザックの偽の遺体だ」
 ラプラスの言葉にキャサリンとマンフレートは目を丸くした。
「ちょっと待って。偽の遺体……ってどうするつもりなの?」
「あまり他人に勧められたものではないが、こういうことだ。今、我々はフォルティア・クロザックの身柄を保護している。盗賊ギルドの地下部分には、引き取り手の無いセリア・ヴィルヌーヴ──彼女の双子の片割れの遺体が安置されている。当然、双子なので、顔や体格はそっくりだ。そして、タンカード神殿からフォルティア・クロザックの首が要求されているが、我々としては、フォルティア・クロザックを救済する道を何としても見つけ出さねばならない。だとしたら、我々がすべきことは明白なはず。……セリア・ヴィルヌーヴの遺体を『フォルティア・クロザックの遺体』と偽って処分し、本物のフォルティア・クロザックには安全な場所に逃げてもらう。セリアの遺体については『既に埋葬済み』と答え、偽の墓石でも用意すれば大丈夫だろう。連中も、宗教上のタブーの1つである墓荒らしをするほどの度胸はさすがに無いはずだ」
「不信感丸出しですね」盗賊ギルド長が灰白色の髪を掻きあげながら言った。
「ええ。今回の暗殺命令の出所はおそらくジョン・フォルト・テンペスタ様でしょう。それ以外の方が言い出したとしたら、皇帝陛下によって制止されていたはずです。シルクス帝国の建国者といえども、帝国最大の政治勢力であり封建領主であるタンカード神殿の意向は無視なさることはできないのでしょう」
「でも……」マンフレートが躊躇いがちに口を開いた。
「どうした?」
「セリアの遺体をフォルティアと偽ることにしたとして、本物のフォルティアはどうするんです? このまま、シルクス帝国内に残すわけにはいかないでしょう? タンカード神殿にすぐ見つかってしまいますからね」
「それは確かにそうだが……」
「ねえ」グリーノック司教が言った。「外国へ亡命させられないの?」
「亡命、ですか?」盗賊ギルド長が聞き返した。
「タンカード神殿の組織が存在していない国へ亡命させて、そこで新しい人生を出発させる……当然、偽名は用意しなければならないけどね。それでいて、エブラーナ盗賊ギルドの組織が存在する国だったら、いつでも彼女を見守ることができるから安心だけど……どうかしら?」
「それでいいと思いますよ」マンフレートが頷く。「しかし、そんな都合の良い場所ってありましたっけ?」
 この質問にはラフディアスが答えた。「エルドール大陸東部や南東部の国々には、竜神タンカードの神殿は1つも設置されておりません。この国々では、まだ布教が行われていないんです。大使館や領事館には、タンカード神殿から派遣された駐在武官がいることにはいますが、各館毎に1人では情報収集能力もたかが知れています。我々エブラーナ盗賊ギルドも事情は似たようなものですが、大陸東南部には、我が盗賊ギルドの大きな支局が設置されていますから、そこの力を頼れば何とかなると思います」
「どこですか?」ラプラスが訊ねた。
「デフルノール王国領サロニア。ラプラス教授は御存知ですね?」
「ええ。行ったことはありますから」
 エルドール大陸の東南部に一大勢力を誇るデフルノール王国。ラフディアスの言葉に登場した都市サロニアは、デフルノール王国西岸に位置していた。元々は風光明媚でのどかな保養地として知られていた小さな村であるが、今から3500年以上昔、この地で「サロニア公会議」と呼ばれる重要な国際会議が行われ、この保養地に「サロニア市立図書館」と呼ばれる巨大な図書館が建設されてから、海辺の平和な村はエルドール大陸──そして地球全体の学術研究の中心地となり、エルドール大陸東部の経済の中心地へと変化していった。今では、市域人口37万、都市圏人口81万を擁するエルドール大陸最大の都市となり、デフルノール王国の玄関口として大いに繁栄している。
 昨年12月、ラプラスはサロニア市立図書館とデフルノール王国政府の要請を受けて、この巨大都市サロニアを訪問し、空席だったサロニアの六賢者の1人を選定する作業に携わっていたのである。
「デフルノール王国に亡命させるわけか」ジスランが言った。
 ラフディアスは頷いた。「それがベストだと思います。ここにはタンカードの神殿は設置されていませんし、駐在武官の数も1人か2人程度だったはずです。一方、我がギルドはここに10人前後のチームからなる支局を設置しており、サロニア盗賊ギルドとの協力の元、デフルノール王国だけではなく大陸東南部全域の情報収集活動を精力的に行っています。ここならば、フォルティア・クロザックの亡命先として問題ないでしょう。身の危険を感じたら、ここから更に東へ逃げてもらえば十分です。それに、ラプラス教授や我々にとっては、フォルティア・クロザックという強力な『カード』を手に入れることになりますから、タンカード神殿や帝国政府との折衝も多少は有利にことが運ぶようになるでしょう」
「なるほどね……。でも、あなた達が彼女をタンカード神殿に『売る』ようなことは──」
「それは断じてありません」ジスランは首を横に振った。
「……本当に、その言葉を信じて良いのかしら?」
「はい」盗賊ギルド長は強く頷いた。「俺は聖職者じゃないし、神に仕えているわけではないけど、こればかりは神に誓ってもいいです。俺の目の黒いうちは、フォルティア・クロザックは必ず守り通して見せます。罪も無い彼女をこのまま見捨てるなんて、俺にはとてもできません」
 キャサリンとジスランの視線が真正面からぶつかった。
「…………分かったわ。その言葉、信じるわよ」
「ありがとうございます」
「でも、やらねばならないことが色々とあるわね。遺体への細工、フォルティアとデフルノール王国政府の説得、そして──」
「ガーラル・シモンズ司祭の説得」ラプラスがキャサリンの言葉を継いだ。
「そう。今から正念場になるわね」

4999年4月7日 11:37
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室

 4月7日に行われた一連の捜索によって逮捕されたのは、《偏西風ライダー》号関係者29人とバイロイト修道会関係者22人の合計59人となった。また、摘発時に行われた戦闘によって、《偏西風ライダー》号船員3人が死亡していた。一方、人質となっていた女性達19人は全員無事に救出された。救出作戦の時に使われた【フラッシュ】の呪文で目を痛めた人質が8名いたが、彼女達の目は呪文によって治療されており、昼までには通常の視力が回復すると見られていた。
 救出作戦が行われた後、捜査官達はシルクス警視庁に戻ると、休む間も無く事情聴取や書類作成という別の仕事が待ち受けていた。彼らの作業が一段落つき、ささやかな休息を確保できたのは、作戦から7時間以上も経ってからのことであった。
「名誉の負傷というわけか」デニムの胸に巻かれた包帯を見て言った。
「そこまで偉いもんじゃありません。こっちが油断していただけです。危うく、リデルさんと同じように殺されるところでした」
「……で、そっちのペンケースが『命の恩人』というわけか」サーレントはテーブルの上にある壊れたペンケースを指差した。
「そういうことになるんでしょうか。でも、あの時にはセントラーザにも助けられましたよ。彼女が立てて僕を庇ってくれなかったら、2発目のボルトで殺されていたかもしれないんです」デニムは隣に座る女性のほうを向いた。「……まだ、お礼を言ってなかったね。……ありがとう。お陰で助かったよ」
「そんなことないよ。それに、これでようやく『おあいこ』でしょ?」
「でも、落ち込んでいる人を慰めたのと命を救ってもらったのとじゃ、釣り合わないなあ……。この恩は、一生かかったって返せないかもしれないな。でも、できる限りの努力はするよ」
「本当?」
「ああ。ここで約束するよ」デニムは頷いた。
「空手形でも嬉しいわ。そう言ってもらえるなんて」セントラーザは嬉しそうに微笑んだ。
「とにかく、頑張るんだな」サーレントはデニムの肩を叩いた。「側でじっくりと見守らせてもらうぞ」
「そういうサーレントさんのほうはどうだったんです?」
「俺のほうか? 結構凄かったな。こっちも戦闘になったんだが、クラム村で一緒だった通産省の課長さんが武術の達人だったことが分かって、正直言って驚いたぞ。あのシミターさばきは、武器を使う人間じゃなくても一度は見たほうがいいぞ」
 セントラーザは目を丸くした。「え? あの課長さんが? とてもそういうようには見えなかったのに……」
「俺も正直言って驚いたんだが、あの武術の腕は並みの兵士じゃ絶対にかなわないな。戦闘が終わってから聞いてみたんだが、彼の父親がシルクスのマレバス神殿の司教をしていたそうで、シミターを使った戦闘術は父親から直に教わったんだそうだ。今じゃ官僚になって『腕も大分落ちてしまった』とか話していたが、あれはただものじゃない。……ただ、さすがに40代になって体力は減ってしまったらしいがな」サーレントは第2会議室に置かれていた長椅子に目を向けた。捜査官達が横になって仮眠を取る中に、シルヴァイル・ブロスティンとウィリアム・フローズンの姿も混ざっていた。
「良く寝てるわね……」
「さすがに歳なんだろう。それにしても、死人が出なくて助かったな」
「そうですね」デニムは頷いた。「そして、犯人も全員が無事逮捕されたわけですし、これで一件落着ということなんでしょうか」
「とりあえず──」
 サーレントが答えようとした時、背後からニベル・カルナス警部補が割り込むように言った。「いや、それは違うな」
「……やっと終わったのか?」サーレントは後ろを向いて訊ねた。
「途中で抜け出してきた。今まで、逮捕した人質と、《ブルーエルフ》で逮捕されたウエイトレスから話を聞いていた」
「おい、人質と従業員を逮捕した? どういう意味だ?」
「話は順番にだ。まず、人質の1人が『以前は連中に雇われて犯行に加担していた』と自首したんだ。彼女の話によると、最初は女性達の監視と食事作りということで雇われていたんだが、カッセル姉妹が殺された後に女性達の頭数が2人減ったから、その埋め合わせということで、シルクスで雇われていた彼女が逆に人質になってしまったらしい。で、《ブルーエルフ》のウエイトレスなんだが、彼女は殉職したリデル・ベント巡査の妻の従妹だったんだ。バイロイト修道会にも入っていたそうだ。それで、ラマン秘書官が機転を利かせて、ザール・シュレーダーとソレイル・ギスティムの関係を洗いざらい全部説明したら、彼女が泣き出して色々なことを教えてくれた」
「何を話したんです?」デニムが訊ねる。
「人質の1人だった女性のほうからは大した話は聞いていない。ただ、《ブルーエルフ》のウエイトレスからは興味深い話を聞いた」カルナスは声を落とした。「あの店には、ザール・シュレーダーだけではなく、バルディオス・グレディアも頻繁に出入りしていたらしい」
「……本当ですか?」セントラーザが訊ねる。
「そうだ。奴の来店が資料として残らなかったのは、ダリル・ギスティムが『記録しないように』と厳しく命令していたためらしい。まあ、これだけでも結構興味深い話だが、これには更に続きがある。実は、バルディオス・グレディアがこの店を訪れる時には、とある政府高官と頻繁に密会を重ねていたそうだ。……誰だか分かるか? ソレイル・ギスティムと非常に縁の深い奴で、つい最近出世した奴だ」
「……何だと? 本当なのか?」
「ああ。その相手は、我らが敬愛すべき大蔵大臣閣下だ」

4999年4月7日 11:50
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド地下3階、霊安室

 ジスランが口元を抑えながら言った。「……なあ、ラフディアス」
「何でしょうか?」
「……食事の後にしたほうが良かったんじゃないのか?」
「食事の前に遺体を見て食事が入らなくなるのと、食事の後に遺体を見て胃の中身を戻してしまうのとでは、どちらが良いと思いますか?」
「そうだな……聞いた俺が馬鹿だった」
 エブラーナ盗賊ギルドで発生した死者の遺体を一時的に安置する霊安室。遺体は魔法による防腐処理を施された後、この部屋で10日間保管される。この間に遺族や親戚・知人が遺体引き取りに来なかった場合、遺体は盗賊ギルド本部から少し離れた場所にある火葬場で荼毘に付され、エブラーナの公営墓地に「ジョン・ドウ」もしくは「ジェーン・ドウ」──身元不明の遺体として埋葬される。エルドール大陸では土葬が基本であるが、処刑された重犯罪者や邪悪神の聖職者などを埋葬する場合には、蘇生魔法の成功率を限りなくゼロに近付ける目的で、遺体の焼却処分が日常のように行われている。ジスラン達の眼前で永遠の眠りに就いているセリア・ヴィルヌーヴも、その遺体を火葬場で焼かれ、現世から永遠にその存在を抹消されることになる。だが、彼女には、火葬場の炉に放り込まれる前に、妹の命を救うという任務を与えられることになった。
「シナリオはいかがされますか?」盗賊ギルドの女性医師がジスランに訊ねた。
「ラフディアス、どうする?」
「特に考える必要は無いと思います。必要なのは『フォルティア・クロザックが死亡した』という既成事実であって、途中経過は本質的に重要ではありません。もし、タンカード神殿が詳細な情報を求めるようでしたら、舌を噛み切って自殺した……ということにしてしまいましょう。体内に残っている毒は毒消しの呪文でどうにでもできるはずです。……これで大丈夫でしょうか?」ラフディアスは医師に訊ねた。
「どうでしょう……、おそらくは大丈夫だと思います。しかし、1つだけ手間が増えます」
「何でしょうか?」
「死亡推定時刻を誤魔化す為、現在掛けられている防腐処理の呪文を解除し、同じ呪文をもう1回使わなければなりません。『フォルティア・クロザックは4月8日に死亡した』と発表なさるのに、遺体を保存する為の防腐処理の呪文が4月6日からずっと掛けられていたとしたら、これは不自然極まりないと思いますが?」
「確かにそうだな」ジスランは頷いた。「……必要な時間は?」
「許可を頂ければ、今すぐにでも始められます。毒消しの呪文もついでに使いますから……所要時間は4分ほどになりますが」
 ジスランは無言でラフディアスの顔を見た。副ギルド長は口を閉じたまま首を縦に振る。
「分かった。じゃあ、その時になったら指示する。あと、このことは内密にな」

4999年4月7日 11:57
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド地下1階、第1法廷

 マンフレート・セルシュ・ブレーメンがガーラル・シモンズとの面会の場所に選んだのは、異端審問所の「中心地」である第1法廷だった。エブラーナ盗賊ギルドの建物内部に異端審問所が移されて以来、ここでは無数の判決が下され、夥しい数の人々が異端者の烙印を押され、彼らの多くがエブラーナの広場で火刑に処され、その命を永遠に奪われていった。リマリック帝国時代から続くシルクス帝国の政治のもう1つの「舞台」であり、一般市民には決して触れられない禁忌の空間であった。
 ──考えてみれば、ここも100年近く使われていたのか……。
 バディル勅令制定直後は、異端審問の全過程は公開裁判によって行われ、多数の傍聴人を集めるちょっとした祭りにさえなっていた。だが、多数の傍聴人は歓声や野次を飛ばし、被告人が気に入らない時には石や汚物を投げ付け、判決が気に入らない時には裁判のやり直しを求めて騒ぎを起こしていた。異端審問が傍聴人の暴動によって中断された例は少なくなかったのである。マンフレートが書記室の資料を読んだところによると、判明しているだけでも58回の異端審問が暴動によって中断させられ、32人の被告人と17人の告発人、24人の弁護人と9人の裁判官が、公開の異端審問の最中に命を落としていた。50世紀になって裁判の秘密化が進み、今日では、異端審問の審理の全てが非公開で行われている。
 ──ここが使われなくなる日って来るのだろうか……? 10年後、20年後……は絶対に無理か。だとすると、50年か60年先……有り得ない話ではないけど、私はこの世にいないはず……。
 マンフレートが溜息を吐いた時、第1法廷の扉が音を立てて開いた。蝋燭だけが灯されていた薄暗い法廷の中に、廊下の魔法性照明の白く明るい光と、聖職者の正装に身を包んだ男性の影が差し込んでくる。
「お呼びでしょうか?」ガーラル・シモンズは穏やかな声で訊ねた。
「申し訳ありません。忙しいところをお呼びしてしまったようですね」
「いいえ。そんなことはありません。それで、ブレーメンさんからのお話とは一体何でしょうか?」
「もしかしたら、もう御存知かもしれませんが、フォルティア・クロザックの処遇につきまして、シモンズ司祭と打ち合わせをしたいことがございます」
「やはり、そうでしたか……」シモンズ司祭は溜息混じりに言った。
「帝都シルクスからお達しがありましたね?」
「はい。最高司祭ジョン・フォルト・テンペスタ様から、フォルティア・クロザックの処遇に関する通告を承りました。『私がフォルティア・クロザックの死を見届けよ』とのことです。当然、皆様には、私とは別口で、フォルティア・クロザックの暗殺命令が届いていることだと思います」
「ここまで表現は直接的ではありませんでしたがね」マンフレートは頷いた。「……それで、そのことなのですが──」
「実は、私のほうからもお願いがありました」ガーラル・シモンズは声を落とした。「皆様に是非御協力して頂きたいことです」
「フォルティア・クロザックの暗殺でしたら──」
「いいえ。その逆です」シモンズ司祭は首を横に振った。「私は今回のジョン様の御指示には従えません。組織防衛の為とはいえ、無罪が事実上確定した人間を殺す真似だけはできません。誇り高きタンカード様の教えに反する行為であり、私がそのような行為に立ち会い、その手を汚すことはできません」
 マンフレートは無言でシモンズ司祭の言葉の続きを待った。
「やはり、フォルティア・クロザックは釈放されるべきです。そして、ジョン様をはじめとする──」
 マンフレートは手でシモンズ司祭の言葉を遮った。「お待ち下さい。その件なのですが、ラプラス書記室長やエブラーナ盗賊ギルドとしての方針は既に決められております」
 彼はその後、手短にフォルティア救出作戦の内容を説明した。シモンズ司祭は首を微かに振りながら彼女の話を聞いていたが、説明が終わると溜息混じりの声で言った。「……こうしないと彼女を救えないのですか?」
「おそらくそうでしょう……残念ながら。ジョン様はあくまでもフォルティア・クロザックが死亡したことを確認したがってようでして、それならば、ジョン様が欲しておられる光景を我々の手で見せてあげるのが最も良い方法ではないか──こう考えております」
「私はまだ納得できません。やはり、彼女を釈放して──」
「それができれば既にそうしています」マンフレートは強い口調でシモンズ司祭の言葉を遮った。「よろしいですか。現在のシルクス帝国では、こうすることが最適解なのです。彼女を生かしたまま外に出したとして、何が起こるとお考えですか? タンカード神殿の息が掛かった別の組織によって殺されるに決まっています。もしも、タンカード神殿が暗殺者の使用を手控えたとしても、フォルティア・クロザックがが連続女性誘拐事件のことを口に出したら、どうなるとお思いですか?」
「どうなるって……別にどうにも──」
「よろしいですか。もしも、そうなった場合、彼女は国家を惑わした人間として公然と処刑されることになるでしょう」
「待って下さい!」シモンズ司祭が声を張り上げた。「いくらなんでも──」
「まあまあ、とりあえず、私に説明させて下さい」マンフレートは手でシモンズ司祭をなだめた。「現時点でのシルクス帝国の公式発表では、タンカード神殿が関わっていたのは《7番街の楽園》従業員6人に対する訴権乱用の罪だけになっています。そして、同じタンカード神殿からは、フォルティア・クロザック暗殺指令が出ています。つまり、タンカード神殿と連続女性誘拐事件の関連をできる限り消そうとしているのです。警視庁から頂きました情報によりますと、ザール・シュレーダーや警視庁内部の人間など、複数のタンカード神殿関係者が事件に関わっていることは既に明らかになってています。しかし、我々やエブラーナ盗賊ギルドは、これは『個人的に参加』ということで片付けられることになるのではないか、と考えています。『タンカード神殿は連続女性誘拐事件と無関係』というのが、シルクス帝国の公式見解になるのでしょう」
 ──こうも上手く話が進むとは到底考えられないのですけどね。
 マンフレートは心の中でこう付け加えた。ある出来事を秘密にする場合、秘密を知る人間が少なければ少ないほど、情報が外部に漏れ出す可能性は低くなる。1人の場合が最も秘密漏洩の可能性が低くなるのである。しかし、今回の場合、バイロイト修道会と連続女性誘拐事件の密接な関連を知っているのは、皇族の多くとタンカード・バソリー両神殿の上層部、内務省の高官、警視庁の捜査官、それに異端審問所の職員にエブラーナ盗賊ギルドの幹部と多数に上る。更に、犯人達が人質を拉致する時に神聖魔法を使った可能性があり、この場合は人質達の一部も「秘密」を知ることになる。これほど大勢の人間が秘密を共有することができるとは、マンフレートには不可能としか考えられなかったが、このことはとりあえず無視することにした。
「そして、私達は立場上、この公式見解を擁護し、それに従った行動を見せる必要があります……少なくても、表向きは」
 シモンズ司祭は溜息混じりに言った。「気分のいい話ではありませんね」
「それは同感です。関係者全員が似たようなことを考えているはずです。しかし、現状を考えれば、こうするより仕方無いのかもしれません。秘密に蓋をして一般市民に真実を隠すことになりますが、真実を明かして国内を混乱させるよりも良いと思います。どちらが本当に良かったのかは、将来にならないと分からないでしょう」
「……分かりました。それならば協力致しましょう」シモンズ司祭は渋面を浮かべながら言った。
「ありがとうございます」マンフレートは謝辞を述べた。
 ──思ったよりも楽に済んだな……。

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