本編(41)
/
エピローグ
(42)
4999年4月8日 18:44
シルクス帝国首都シルクス、8番街、喫茶店《Little Sweet Cafe》
事情聴取を他の捜査官達に任せ、サーレント達3人は警視庁を退出していた。そして、いつもの喫茶店で、いつもの場所に腰を下ろし、いつもとは異なる時間帯に、普段は利用しないディナーコースを頂くことにした。パンとスープとサラダ、それに鶏肉の照り焼きというメニューであり、当然のように、食後には温かい紅茶が用意されている。
「……しかし、何だか中途半端な終わり方だな」サーレントは小声で言った。
「そうですね」デニムは頷いた。「ランベス枢機卿の突然の自殺、遺書と捜査に関係する資料は1つも無し……。公式には、何の罪にも問われないで死んでいくことになるわけですよね……」
アーサー・フォン・ランベス大蔵大臣の自殺体が発見されたのは、4月8日午前9時27分のことであった。自宅の書斎に内側から鍵を掛け、持っていたショートソードで頚部を切り裂いた状態で床に倒れており、家族がその姿を発見した時には、灰色の絨毯は鮮血で赤く染め上げられていた。既に彼の息と心臓は止まっており、駆け付けたタンカード神殿の助祭達も、枢機卿の死亡を確認することしかできなかった。
「実際、奴は人身売買に関わっていたのだろうか?」
「それは分かりません」デニムは首を横に振った。「おそらく、バルディオス・グレディアが話してくれない限り、この点は最後の最後まで謎のまま残るでしょう。僕としては、彼が首謀者だった可能性は五分五分だと思いますね」
「何か自信が無い推測ね」セントラーザが応える。
「資料が少ないからどうしようもないよ」デニムは肩をすくめた。「ただ、このタイミングで自殺したとなると、やはり、大蔵大臣は事件に関わっていたと考える方が自然じゃないかな……?」
「それはそうね。でも……本当に自殺なのかしら?」
「どういう意味だ?」サーレントが訊ねる。
セントラーザはミルクティーで口を湿らせてから言った。「これは自殺じゃなくて、『処刑』じゃないかと思うんです。非公式の」
「……そんな制度ってあったかな?」デニムは首を傾げていた。
「分からない。だから『非公式』と言ったんだけど……。上手く言えないけど、処刑するのがかわいそうだと思った人が、処刑前に名誉ある『引き際』を与えた……そういうように感じられたの」
「皇帝陛下かジョン様がか?」サーレントが訊ねた。
「はい。自殺の命令を出されたんでしょうね」
「そう考えれば納得はできますが……しかし、すっきりしませんね」デニムが溜息混じりに言った。
「俺も同感だ。罪を犯す聖職者もただの人間だが、それを裁く者達もただの人間……。しかし、どちらも、人間のすることにしちゃ、馬鹿げてることが多かったような気がするな。まあ、この仕事に関わってると、それが普通だと思えてくるんだが」サーレントはレモンティーを一気に飲み干した。「──で、話は突然変わるが、親父さん達には話を通したのか?」
「え? 話? 何のことです?」デニムは惚けた表情を浮かべて聞き返した。
「分かってるくせに聞き返すんじゃないぞ。お前達2人のことだ。将来どうする?」
突然の質問に、デニムとセントラーザは顔を赤くした。
「え、いや、まだ僕達は特に……」
「ねえ、ちょ、ちょっと……いきなり聞いちゃ駄目ですって」
「そろそろ決めた方がいいと思うぞ。新しい副大臣閣下もそのことが気掛かりな御様子だしな。俺の女房なんか、俺に『礼服のサイズはどうしようか』なんて聞いてやがる」
「それは気が早いですね……」デニムは苦笑を浮かべた。
「決まってないわけじゃないんですけど……来年の3月まで待ってもらえませんか?」セントラーザが言った。
「来年……また先の長い話だな」
「私達の関係がどうなるか分からないし、まだお金も溜まっていません。それに……結婚式を挙げるんでしたら、その席にリデルの奥様を招待してあげたいんです。友人だから喪に服する……というわけじゃないんですけど、今はまだ心の整理が完全には片付いていないので……」
「そうか……それもあったな」
「ごめんなさい……辛気臭い話をしちゃって」
「いや、それは別に構わん。……それより、デニムはそれで構わないのか?」
「はい」デニムは頷いた。「セントラーザがそれでいいと言うのでしたら、僕もそれでいいと思います。それに、僕のほうにも問題があるんです」
「え? 一体何なの?」セントラーザは隣を向いて訊ねた。
「君のこと、まだ僕の両親に紹介してないんだった」
セントラーザは微笑んだ。「そうね。忘れてたわ」
4999年4月8日 21:47
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ港
フォルティア・クロザックをはじめとする6人の《7番街の楽園》従業員に対する無罪判決は、4月9日午後3時10分に下された。7つあった裁判官の席のうち6つが空席のままという異常な光景の中、6人に対する異端審問は終わりを迎えた。無罪判決が下された後、6人は盗賊ギルドが用意した食事会に参加し、釈放されてからの身の振り方についての論議を行った。《7番街の楽園》の店員らはシルクスに帰ってから店を再開すると話していたが、フォルティアと別の男性従業員は店を離れ冒険者になると宣言した。こうして、単なる食事会は新米冒険者の壮行会へと変わり、キャサリン達が思っていた以上の盛況を見せた。
約5時間続いた壮行会が終わり、酔いつぶれた男性5人が盗賊ギルドの来賓用寝室に戻されたのを確認してから、ラプラス達3人とフォルティアは盗賊ギルドを密かに抜け出し、エブラーナ港へと向かった。午後10時にエブラーナを出航するサロニア行きの船にフォルティアを乗せる為である。今頃、盗賊ギルドでは、ジスランなど盗賊ギルドの幹部らが、フォルティア・クロザックの「死亡」を「証明」する為に、書類やセリア・ヴィルヌーヴの遺体に対する工作を行っているはずである。
「色々お世話になったわね」
長かった髪を短く切り揃えたティーラが、微笑みながら頭を下げた。戸籍上は死んだことになったフォルティア・クロザックは、帝国側の追求から確実に逃れる為、エブラーナのゾルトス神殿に「セレイラ・フォーチューン」という偽名で戸籍を作り、ゾルトス神殿が作成した「本物」の旅券を彼女に持たせ、大陸東部のデフルノール王国に渡ることになった。職業も格闘家から剣士に転向させ、着ている服装も逮捕された時とは違い露出度が低めのものとなっていた。
「いえいえ」マンフレートは髪を掻きながら答えた。「こちらも、間違った容疑であなたを捕まえてしまって、その上、結果的に国外を追い出す形でしかあなたを釈放できなかったのですから、むしろ関係者を代表してお詫びを言わねばなりません。感謝される筋合いじゃないのですが」
「別にいいわ」フォルティアは首を横に振った。「私のほうは命を助けてもらったんですもの。それに、本当に悪い人達は別にいるから……。その人達に罰が下るところを見られないのが残念だけど、その他に未練は無いわ。とにかく、キャサリンさんをはじめとして、皆さんにはお世話になったわ。多分、一生忘れないと思うわ」
「忘れてもらったほうが、こちらとしてはありがたいんだがな」ラプラスは苦笑いした。
「どういうこと?」
「この町から出発するに当たって、3つほど守ってほしいことがある」ラプラスは指を3本立てた。「いずれも、あなたがデフルノール王国で安全に生活する為には必要だ。まず、あなたは『セレイラ・フォーチューン』であって『フォルティア・クロザック』ではない。シルクス帝国時代の過去を全て捨てて、生きる必要もある。過去の思い出──忌まわしい記憶も古き良き思い出も全て捨てる、というのはかなりの苦痛だけど、それに耐える必要がある……」
「それは大丈夫よ」彼女は自身ありげに頷いた。「殆どの親類は死んでるし、シルクスでの親友の大半も、私が異端審問のトラブルに巻き込まった以上、私からは離れると思うし……」
「確かにそうね……」キャサリンが重々しく頷いた。「異端審問で無罪だと証明されたとしても、『疑われた』という事実は残るし、この国で生きていくのに肩身が狭くなることは確かだわ」
「自分の命以外に、失う物は何も無いし、それは問題無いわ」
ラプラスは頷くと、薬指を曲げた。「分かった。それから、次に我々と君が会った時は、全くの赤の他人として振る舞うように。知り合いとして振舞う時も、自分が『セレイラ・フォーチューン』であることはだけは忘れないでくれ。サロニアにタンカード神殿の人間が殆どいないとはいえ、どこでどうやって情報が漏れ出すのか、全く分からないからな」
「……次に会う時って、いつなの?」
「さあ。10年後か20年後か……ひょっとしたら死後の世界か。死後の世界なら、別に思い出話をしても構わないが」
フォルティアはラプラスの下手な冗談に微笑んで応えた。「いずれにしても、当分先ね」
「そうですね」マンフレートが頷いた。
「最後に」ラプラスはそう言って中指を曲げた。「もしシルクス帝国のほうから追っ手が差し向けられた場合は、更に東に逃げること」
「まだ私を狙う人達がいるの?」
「ああ。タンカード神殿が君の生存に気が付かないとは限らないからな。気付いた時に、追っ手を差し向けるかどうかは、その時の彼らの理性次第だが、万が一ということも考えておかねばならない」
「何か大変ねえ……」
「君の新生活の場所にデフルノールを選んだのは、この国はタンカード神殿の組織が殆ど存在しない国だからだ。それに、私にはデフルノール王国やサロニア市立図書館の政府高官とのコネがあるから、いざとなれば、私がそのコネを使って君を『助け出す』こともできる。エブラーナ盗賊ギルドの組織もしっかり整備されているから、この国なら君が確実に生き残れると思ってね」
「……まあ、これだけお金もらっているし」
彼女はそう言いながら、ベルトポーチを左手で軽く叩いた。中には、当面の生活費として、20000リラ──ラプラスの年収の約18%──に相当するだけの金貨・宝石が詰まっている。
「とにかく、我々は君がデフルノール王国で安全に暮らす為に、できる限りの支援を行っていく。君が知らないところで勝手にやっていることが多いので、君がそれと気付くことも滅多に無いはずだ。とにかく、向こうに着いたら、冒険者になるなり別の定職を見つけるなりして、新天地での生活に慣れることだ」
「分かった。そうするわ」
フォルティアが力強く頷いた時、港のほうから船乗り達の声が聞こえた。「そこのお嬢ちゃん! あと2分で出港するぞ!」
「分かったわ!」フォルティアは船に手を振った後、ラプラス達のほうを向いた。「じゃあ、行ってくるわね。本当にお世話になったわ」
「ええ。こうすることしかできなかったけど……どうか元気でね」
「ありがとう」彼女は微笑みながら、ラプラス達に手を差し出した。
「お元気で」
「機会があったらサロニアで会おう」
フォルティアはラプラス達と順に握手を交わした。そして、地面において合ったバックパックを背負うと、彼女は右目でウインクをして、小走りで船のほうに向かった。そして、ふと立ち止まって、ラプラス達のほうを向く。
「お元気で!」
彼女そう言って手を振ると、再び船のほうに向かって走り出した。
「これで良かったんですかねぇ……」
埠頭の先から船を見送りながら、マンフレートが呟いた。
「最善ではないが……比較的ましな選択だとは思うぞ。まさか、この政治状況で彼女を国内に留めておくわけにもいかないし、かといって、タンカード神殿の言うことに従って、彼女を売り渡すのにも納得ができない。後味が良くないことは承知しているが、こうする他あるまい」
「後は、彼女が無事にサロニアに到着すれば、私の仕事も全て終わるわね」
「……そう言いたいんだが、そうはならんだろう」ラプラスは首を横に振った。
「え? どうして──」
「現在、異端審問所には裁判官が1人しかいない状態が続いている。もし、ここでキャシーが異端審問所を辞めると言い出したら、異端審問制度そのものが停止してしまい、帝国の司法制度に大きな穴が空いてしまうことになる」
「でも、問題が多過ぎる制度ならば、廃止しても良いと思うけど」
「確かにそうなんだが、廃止が決まるまでは旧制度を存続させるのが基本だ。それに、キャシーの在任中に片付けねばならない問題はまだ残っている。《7番街の楽園》やエブラーナの倉庫街で逮捕されたナディール教徒達に対する判決はどうするんだ? このまま放置して、エブラーナ盗賊ギルドに余計な負担を掛けさせるわけにはいかないだろう? 最初に話したのと話が違うというのは承知している。しかし、現在の状況では、唯一の裁判官であるキャシーにもう少し頑張ってもらうしかないんだ。頼む」
キャサリン・グリーノックを励ます目的で行われたラプラスの発言だが、これには裏があった。異端審問所の裁判官の空席を1つでも良いから埋める為には、特別尋問中の乱闘騒ぎの責任を取って辞任したグレイブ・ゾーリア司教を復職させる方法もあったのである。しかし、異端審問所の機構改革において、ラプラス達により有利に事が運ぶことを狙い、ゾーリア司教の復職は考慮しないことにしていた。
「ええ……そうね。それだったら、もう少し頑張ってみるわ。結構大変だけど」
「ありがとう。……ただ、私のほうはもっと大変だ。キャシーの仕事とは別に、異端審問所の改革案の作成や、フォルティア・クロザックの命を狙っているタンカード神殿を黙らせる作業も残っている。私にとっては、この事件は『始まりの始まり』に過ぎん。今からが本番になる。帝都シルクスの頭の固い連中に派手な喧嘩を売ることもある。マンフレートも覚悟だけは固めた方がいいぞ」
「大丈夫です。教授と一緒に心中するなら本望ですよ」
「それはありがたい」
ラプラスとマンフレートは互いの顔を見て、ひとしきり笑いあった。
「……ねえ」キャサリンが躊躇いがちに声を掛けた。
「どうした?」
「大したことじゃないんだけど。フォルティアが乗っていった船の名前、何だったと思う?」
「船の名前? そこまでは見てなかったが……。何だった?」
「《ゼピュロス》。サロニア地方の伝承で、希望と繁栄をもたらす西からの微風……という意味があるわ」
「『希望と繁栄』か……」ラプラスは呟いた。「シルクスを離れた後に見つけられれば良いが……」
4999年4月9日 09:59
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド、異端審問所書記室
「ラプラス教授はいらっしゃいますか?」
書記室のドアの隙間から、盗賊ギルドの女性職員が顔を覗かせた。
「ああ。ここだ。入ってくれ」
「失礼します」女性は室内に入ると、早足でラプラスの机に近寄った。左手には通信用クリスタルが握られている。「帝都シルクスのジョン・フォルト・テンペスタ様からです」
──遂に始まったか……。
ラプラスは小さく深呼吸してから返事した。「ありがとう。机の上に置いてくれ」
女性職員がクリスタルを置いて書記室を退出した。ラプラスはクリスタルを左手に持つと、音を立てずに静かに椅子から立ち上がった。そして、早足で書記室を出ると、隣にある個室──異端審問所書記室長専用仮眠室へ入っていった。マンフレートとキャサリンが慌ててその後を追う。3人が個室の中に入ったことを確認してから、ラプラスは扉を施錠し、通信用クリスタルをベッドの上に置いた。
「今からが本番ですね」マンフレートが小声で言った。
「ああ」
「頑張るのよ」
ラプラスはキャサリンの言葉に頷くと、通信用クリスタルに顔を寄せた。「ジョン様ですか?」
クリスタルの中の男性は頷いた。「そうだ。貴殿がデスリム・フォン・ラプラス……宗教学の教授だな?」
「はい。初めてお目にかかります」
「確かにその通りだ。異端審問所の重要ポストに就く人間でありながら、1ヶ月以上挨拶を行わなかったとは、かなり忙しそうだったと見える」
「申し訳ありません」ラプラスは素直に謝った。
「いや、この件で教授が謝罪する必要は全く無い。忙しかったことは我々も承知している。とりあえず、教授によるエブラーナでのナディール教徒掃討作戦は見事な出来映えであった。幹部の大半も逮捕できた上に、連中側が帝国の宿敵たるテンバーン王国と内通していたという事実も判明した。この点では、教授の功績は極めて大きいと言わざるを得ない。近々、我が息子から褒賞が下賜されるものと思われるな」ジョン・フォルト・テンペスタは髭を蓄えた顔に笑みを浮かべていた。
「はっ、お褒めの言葉を頂き誠に恐悦至極でございます」
「ところで……教授に2つほど質問したいことがある」ジョンは真顔に戻った。
──今からが本番だな……。
ラプラスは呼吸を整えた。「何でしょうか?」
「まずは、今朝届いた知らせについてだが……フォルティア・クロザックが死去したというのは事実なのかね?」
「その通りです」ラプラスは頷いた。「私は正確な報告を受け取っていないので、詳細を述べることはできません。私が聞いた限りでは、本日の午前7時頃に、朝食ができたことを知らせに部屋を訪れていた盗賊ギルドの職員が、彼女の自殺体を発見した……ということです。死因は舌を噛み切ったことによる窒息と見られています」
通信用クリスタルの中に映し出されたジョンの首が僅かに下を向いた。ラプラスには分からないことであったが、タンカード神殿最高司祭執務室のテーブルの上には、エブラーナのガーラル・シモンズ司祭から届けられた報告を記したメモが置かれており、ジョンはこのメモを見ながらラプラスと会話していたのである。
「自殺だと?」ジョンは眉をひそめた。無論、演技である。
ラプラスはジョンの演技に気付いていたが、淡々とした口調で報告を続けた。「はい。遺書の類は全く発見されておりません。彼女が先日まで監禁されていた牢獄を調べましたが、自殺であることを裏付けるような物的証拠は何1つ見つかっておりません。また、本日正午に釈放される予定になっている5人の元被告人達にも話を聞いているところですが、めぼしい情報は得られないでしょう。こちらのほうは、私ではなく、施設を管理しているエブラーナ盗賊ギルドにお問い合わせになってはいかがですか?」
──物的証拠なんて見つかるはずが無い。元から用意してないんだから。
当初は架空の遺書も用意することになっていたのだが、「そこまで用意すると逆にわざとらしすぎる」とラフディアスが反対し、結局、偽の遺書は日の目を見ないことになった。なお、この偽の遺書には、帝都シルクスの友人達に迷惑をかけたことへの謝罪の言葉が書かれていた。
「私には信じられんのだが」ジョンは首を横に振った。
「それは我々も同様です。自殺の動機がまるで分からないのですから」
「まさかとは思うが……」ジョンは声を落とした。「誰かがフォルティア・クロザックを殺したという可能性はあるのかね?」
「調査を開始した直後なので、それはあまり分かりません。今回の件については、私は対応や捜査を全てエブラーナ盗賊ギルドに一任したいと考えております。彼らの管理している建物で発生した事件ですしね。ですから、事件について、下手な憶測を述べることは慎みたいと考えております。ただ、私が耳にした限りでは、その可能性は極めて低い──数字にして5%もあるかどうかですね」
「それで自殺説を信奉するのかね? つい先程、自殺の動機が分からないと申したばかりではないか」
「はい。どちらも正しいと考えております。ただ、他殺の動機も分からないのに、むやみやたらと騒ぎたてるのはいかがなものかと存じます。他殺の動機が分からぬ以上、『理由は不明だが自殺』として扱わざるを得ないのではないでしょうか」
──自分で暗殺を命じておきながらよく言うよ。
ラプラスは心の中で付け加えた。
「エブラーナ盗賊ギルドが自殺に関与した可能性は?」ジョンは小声で訊ねる。
「高くないと思われます。そもそも、動機が分かりません。動機という観点から申し上げれば、エブラーナ盗賊ギルドや異端審問所以外にも、自殺に関与している政府機関が存在している可能性が無いとは言い切れないはずですが?」ラプラスはそう言ってクリスタルの中に鋭い眼差しを向けた。
ジョンは無言でラプラスを見つめていたが、軽く溜息を吐いてから訊ねた。「……遺体はどうするのかね?」
「フォルティア・クロザックのですか? 私は存じ上げません。それは完全にエブラーナ盗賊ギルドの仕事ですので、そちらにお問い合わせになるのが筋でしょう。……しかし、ジョン様はどうしてフォルティア・クロザックのことにそこまで御執心されるのです? 御執心されなければならない特殊な事情でもあるのですか? 私としては、それが気になるのですが」
「それを聞いてどうするのかね?」
ラプラスの背中に冷や汗が流れた。「いえ、どうするというわけではございません。しかし、私としては、ジョン様のお見せになる反応というものが不自然に思えてならないのです。些細なことが余計な疑惑を呼ぶことになりますから。今のシルクス帝国がこれ以上の混乱に耐えられるとお思いですか?」
ジョンはクリスタルの中で腕を組み、無言で考えこんだ。ラプラスはその間にちらりと横を向いた。
「フォルティア・クロザックに手を出さない」という言質は取るの?
キャサリンがそう書かれた繊維紙をラプラスに向かって見せた。だが、ラプラスは小さく首を横に振る。
「……教授」
クリスタルからの声に気付き、ラプラスは正面に向き直った。「はい、何でしょう?」
「フォルティア・クロザックの件は分かった。続いて、もう1つの論議に移りたいがどうかね?」
「はい」ラプラスは頷いた。
「今後の異端審問所の運営方針についてだが、どういう方針で行くつもりかね? 現在のところ、裁判官7名のうち6名が辞表を提出しており、キャサリン・グリーノック司教は今回の事件が片付いたら離職すると話しておるそうではないか。だが、教授はタンカード及びバソリー両神殿からの裁判官派遣に否定的な見解を示しておると聞いたことがある。どういうつもりだね? 異端審問所の裁判官7名全てを空席にすると、異端審問所の活動が停止してしまうことにはならないかね?」
「いいえ。今のところは、グリーノック司教にもうしばらく頑張って頂こうと考えています」ラプラスは首を強く横に振った。クリスタルの向こう側に座るジョンから見えない場所で、キャサリンは無言で首を縦に振った。
「なるほど……。まあ、それは良しとしよう。しかし、機構改革──異端審問所の廃止については、いくら考えても納得できぬ。そもそも、教授が過去これまでの異端審問所の輝かしい実績を無視し、その栄光を支えてきた基盤であるはずの聖職者による裁判運営を認めないとするのは、私の頭では不可解以外の何物でもない。教授の発言はバディル勅令の精神にも反しておるし、宗教学の見地から言っても妥当性を欠いているとしか考えられぬ。何を根拠にして、そのような発言をしたのかね? 学者としての意見を伺いたい」
「いいでしょう」ラプラスは大きく深呼吸した。「行政学の観点からすると、異端審問所という特別裁判所が存在し、それが世俗の裁判機構と切り離され運営されているということ自体が問題です。異端審問の詳細を定めたバディル勅令という法令は、軍隊内部の規律を定めた法規とは異なり、全ての人間に対して適用されることになっています」
「身分犯ではない、ということだな」
「その通りでございます。バディル勅令はシルクス国民全てに対して適用されます。民法や一般の刑法と全く同じ扱いです。それならば、何故わざわざ別の裁判所を設置して、別の裁判制度を維持しなければならないのです? しかも、捜査段階における聖と俗の関係が曖昧で、基本的には聖の優越が認められているにも拘らず、実際の捜査は俗の方が行い、俗の行動に対して聖が無制限に干渉でき、しかも異端審問の開始となる告発は聖職者のみが行える──こういった混乱した現実が眼前には広がっています。この奇妙でややこしい事態を解決する為には、異端者に関する法規はそのまま残し、異端審問所を廃止して、異端審問所が行ってきた裁判を全て世俗の裁判所に移すのが最も適当であると考えています。宗教学の専門家の助力が必要になるのならば、裁判官や弁護人・告発人が、聖職者や宗教学者を証人として法廷に呼び出し、彼らの証言を得る……というようにするべきです。もし、異端審問所を残すとしても、それは異端者専門の警察組織にしてしまうか、第1審のみに限定された裁判所にしてしまうべきです」ラプラスは一息入れた。「少なくとも、現行の異端審問所──警察を兼ねた一審制の終身裁判所から組織を改めるべきでしょう」
「ふむ……しかし、こういう解決策もあるはずだ。聖職者達に対して、バディル勅令に関連する捜査権を全て与え、異端審問は全て聖職者のみによって執り行わせる──文字通り聖職者だけで異端審問を運営させる方策もあるはず。これはどうなのかね?」
ラプラスは首を横に振った。「残念ながら、私はジョン様の御意見には異議を唱えざるを得ません」
「……ほう?」
「この点につきましては、私もリマリック帝国大学で研究を重ねました。しかし、そこで得られた結論は、ジョン様の御意見とは正反対でした。……そもそも、聖と俗の裁判機構を平時から並存させるということ自体に無理がございます。それが全ての混乱の原因なのですから。両者の優越が定まらないのでは、混乱は一層ひどくなるだけです。それに、ジョン様のアイデアでは、現在の異端審問所の人員強化が必要不可欠となりますが、その為には、大量の聖職者を動員し、彼らに対して戦士としての必要最低限の技術と法律に関する一定以上の知識を学習させねばなりません。これらを達成するのに、莫大なコストが掛かることはジョン様とて御承知のはずです。異端者の制圧という目的だけを達成するならば、新しい組織を立ち上げるのではなく、既存の警察機構だけに任せてしまっても良いはずです」
「ふん」ジョンは面白くなさそうに鼻を鳴らした。「屁理屈をこねているだけではないのかね? 我々聖職者から異端審問の権利を取り上げようとして、言い掛かりをつけようとしているのではないのか?」
ジョンの言葉にラプラス達3人の顔色が変わった。
「ちょ──」
キャサリンが何か言おうとしたのをラプラスは手で制止した。そして、冷静な口調で言った。「では、お言葉を返すようですが、1つお訊ねしたい。言い掛かりをつけられても仕方の無い大失態を演じたのはどこのどなただとお思いなのです?」
「大失態? どういう意味──」
「今回のトラブル全てです。帝都シルクスで発生した連続女性誘拐事件、7番街で発生した殺人事件、《7番街の楽園》の冤罪疑惑、シルクス警視庁で発見された内通者……。これら全ての事件・事案に関し、ジョン様をはじめとするタンカード神殿が関わっておられるのです。忘れたとは言わせません。私達異端審問所の一般職員が、一連のトラブルのしわ寄せを被る格好になってしまったのですよ。シルクス警視庁では殉職者まで出してしまっています。その責任はどう取られるおつもりですか?」
「責任だと? この私に──」
「管理者としての責任です」ラプラスは大きな声でジョンの言葉を遮った。今までつもりに積もっていたタンカード神殿首脳部に対する不満が一気に吹き出つつあった。「ソレイル・ギスティムやアーサー・フォン・ランベスといった、シルクス帝国に対して明白に害を為した人間達を野放しにして、結果的に彼らの延命に対して力を貸してしまった責任、そして一連の騒動で命を落とし、財産を不当に侵害された人間達に対する損害賠償の責任、そしてシルクス帝国の政情を不安定にした──」
「それ以上申すな!」ジョンは顔を赤くして怒鳴った。「我が帝国の政情を不安定にしただと? それはバソリー神殿……いや改革派の連中の仕業であろう!? 連中がバディル勅令に逆らうような行為を見せたからこんなに事が広がったのではないか!?」
「帝都シルクスの改革派の罪の是非については、皇帝陛下に処断して頂く他ありません。しかし、改革派にあのような行為をさせてしまった責任については、タンカード神殿も責を負うべきではありませんか? それに、特別尋問中に発生した乱闘騒ぎ……裁判所で裁判官が乱闘騒ぎを起こしたという前例の無い不祥事がございましたが、その始末も終わっておりません。……いずれにせよ」ラプラスは声を大きくした。「一連の事件において、ジョン様をはじめとするタンカード神殿がなさった行為が、エブラーナでの異端審問の運営と、シルクスでの捜査に悪影響ばかり及ぼしたのは事実です。バイロイト修道会に全てを押し付けて逃げてしまうことは到底認められません。何らかの形で、その責任を負い、制裁を受けて頂く必要があると存じます」
「……ほう、私が誰だか忘れているのかね?」ジョンの声は半オクターブ低くなっていた。
「そんなことはありません」ラプラスは首を横に振った。「ただ1つ、最後にジョン様に申し上げたい。私が忠誠を誓う相手とは、シルクス帝国という国家であり、シルクス帝国に住む国民であり、そしてゲイリー・フォルト・テンペスタ陛下であります。特定の団体に媚びるような真似はしたくありません。……では、用事があるので失礼致します」ラプラスは一息入れると、ジョンの反応を待たずに言葉を続けた。
「切断」
室内が静寂に包まれる。
ラプラスは何も映し出さなくなったクリスタルを見つめながら、シャツの袖で額に光る汗を拭った。「ふう……」
「言いたいことを全て言ってしまったわね」キャサリンが微笑みながら言った。「もう、これで後には引けないわよ」
「結局は感情が抑えられなくなってしまったな。もう少し、冷静に会話できると思ったが……」
「しかし、怒っている教授の姿も格好良かったですよ」マンフレートがからかい半分で言った。
「それはどうも」
「ねえ、1つ聞きたいんだけど……さっきの紙、どうして無視したの?」キャサリンが訊ねる。
「フォルティア・クロザックの身の安全に関する言質のことか。……あれは簡単だ。今後、我々が守るべき相手は『セレイラ・フォーチューン』であって『フォルティア・クロザック』ではない。フォルティア・クロザックの身の安全に関する言質を取ったところで、『セレイラ・フォーチューン』を守る壁にはならん。デフルノール王国に渡航している『セレイラ』の身に危険が及んだとして、そのことをタンカード神殿の攻撃材料に使えると思うか? 口にしたが最後、逆に、我々がエブラーナで戸籍の偽造と公文書偽造を行ったことが暴露されてしまう。皇帝陛下のお墨付きを得た上での行為だったとはいえ、このことがスキャンダルとして表に出たら、我々は一巻のおしまいだ」
「確かにそうね……。しかし……それ以前に、既に『終わって』ないかしら?」
「……それは禁句だ」ラプラスは苦笑を浮かべたが、すぐに真顔に戻った。「とにかく、今からは仕事が続くぞ。まずは、キャシーとマンフレートで、釈放された5人に関する書類整理と、転向を拒否したナディール教徒に対する取り扱いを決めてくれ。私は皇帝陛下にお会いし、会見の顛末と異端審問所の改造案について話をせねばならん。ジョン様が何か言う前に、我々が先手を打っておくぞ」
「分かりました」マンフレートは頷いた。
『異端審問所の記録』目次
/
登場人物一覧
本編(41)
/
エピローグ
玄関(トップページ)
開架書庫・入口(小説一覧)