この文書が最初に製作されてから既に半年近くが経過しています。その後の調査によって、既に書かれている記事の内容に修正を加えたり、補足説明として新たに書き加えたりする必要のある「重要な」情報がいくつか耳に届いています。また、個人的な見解の変遷によって「修正してみたいな〜」(ぉぃ)という個所も幾つか見つかっています。ここでは、そういった「要修正の」情報をまとめてリストアップしてみました。 (a)伊藤賢治氏のその後 光田康典氏のオフィシャルサイトにて公開されていたインタビューによって、伊藤氏がスクウェアを退社していたことが判明。『Culdcept2』などの作曲に関わっている模様。 (b)key設立騒動の舞台裏 この問題については実に様々な話が伝えられているのだが、複数の筋からこんな話が入って来ている。 「当時のTactics上層部は『ONE』の販売不審の原因を樋上いたる氏に押し付け、樋上氏に対して退社を促していたらしい。それがTactics分裂の引金となったのではないか」 いかにも「さもありなん」というエピソードである。今のところ、私の手元に、この見解を明確に否定する情報は何1つ入っていない。 (c)「眼鏡」 眼鏡っ子大好き人間の説明で1つだけ重要な話を言い忘れていたので補足。 一般に「眼鏡属性保有者」と言うと、「眼鏡を着用している女性が好み」という意味で使われているようだが、本物の眼鏡属性保有者に話を聞いたところ、事情はもう少し複雑らしい。彼らは大きく分けて2パターンの人間に分かれているらしいのだ。具体的には (1)眼鏡を外した素顔が可愛いから眼鏡属性を持っている人間 (2)眼鏡を着けたままの女性の姿に惚れ込んでいる人間 という2つ。 「代表的な眼鏡っ子」の例として挙げた保科智子の場合、PlayStation版『ToHeart』で、彼女は眼鏡を外してコンタクトレンズに着替えるというイベントが発生するらしい(実際に見ていないので断定形では話せない)。ところが、このイベントを見た筆者の知人は「PS版ではあれだけが納得できない」と漏らしていたのである。 「この世には2種類の女性がいる。眼鏡を着けている人と、眼鏡を着けていない人である」とはよく言ったものである。 (d)世界設定に関する補足 『ONE』の世界設定については色々な論説が紹介されており、この記事の中でも文芸様式としてのファンタジーをもとにした論議を展開している。しかし、私の場合、どうしても「製作スタッフは世界設定を『離別』の演出にしか使っていないのではないか」という考えが頭の中から離れられないのである。 ちなみに、岩泉舞氏の漫画『ふろん』と『ONE』の類似性が指摘されちょっとした騒ぎなった際、私が事実関係を確認する為に複数の方から伺ったところに拠ると、『ONE』で行われた「現実世界からの消失」というネタは、短編SFではそんなに珍しい話ではないとのこと。「消失ネタが決して珍しくない」という話が最も重要であることは言うまでも無いのだが、そこで昔話ではなくSFが引き合いに出された辺りに、日本における「文芸様式としての」ファンタジーに対する認知度の低さが窺い知れる。 そういや、日本の昔話に「現実世界からの消失」ってネタはあったっけ? 『浦島太郎』が似てなくも無いのだが……。 (e)最後のぼやき 『Kanon卒業文集』って企画、誰か走らせないのかなぁ……(爆) なお、この追記のコーナーは新しく書き足すべきことが見つかり次第追加されていく予定です。多分、これ以上は無いと思うけど……。 |