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EZ-O-Zappar社の機密議事録(4)


[10]折原浩平×長森瑞佳

営業:さて、『ONE』の脚本につきましては、「感動系」という言葉が使われることがございますよね。
社長:「感動系」?
営業:はい。「思わず泣いてしまうほど感動した作品」に対して贈られる言葉です。最初にこの言葉が使われたのは『ToHeart』──特にこのゲームの中のマルチシナリオではなかったかと思います。
総務:あれ? あのシナリオって、マルチの製作者達の道徳的責任について突っ込んだ論議を交わす(*77)のが正しい楽しみ方では──
営業:総務部長、そういう方は例外的存在です。私も問題の記事をインターネット上で確認しましたが、ああいった意見の持ち主はかなり稀です。素直に感動して泣くのが、ごく普通の楽しみ方というものですよ。
社長:ふむ……では、このマルチとかいうキャラクターのシナリオが、「感動系」ゲームのモデルケースになると考えても良いのかね?
営業:モデルケース……まあ、そういうことだろうと思います。しかし、「感動系」という言葉が本格的に使われ出したのは、『ToHeart』ではなく、むしろこちらの『ONE』ではなかったかと思います。
企画:その通りですね。
社長:では、『ONE』のストーリーがどういうものだったのか、改めて振り返ってみようではないか。
企画:乱暴な構造になりますが、こういう流れになっていたと思います。

 企画部長は3人の男達にB4の紙を配る。この紙には、大きな字で以下のように印刷されていた。

<『ONE 〜輝く季節へ〜』の時間の流れ>
(1)主人公の日常生活
(2)6人存在するヒロインの中の1人(以降「攻略対象キャラ」)と出会う
(3)主人公と攻略対象キャラの関係の進展、「絆」の確立
(4)主人公が「えいえんのせかい」へ消失
(5)主人公が「えいえんのせかい」で「永遠の無価値性」を認識
(6)主人公が「えいえんのせかい」から脱出
(7)主人公と攻略対象キャラの再会

<ゲーム中のシーン描写順番>
グッド:(5-a)→(1)→(5-b)→(2)→(5-c)→(3)→(4)→ED→(7)→スタッフロール→タイトル画面
バッド:(5-a)→(1)→(5-b)→(2)→(5-c)→(3)→(4)→ED→タイトル画面



社長:盛大に省略していないか?
営業:いえ、こんなに感じで正しかった思います。
企画:補足説明しますが、攻略対象キャラによって描写が変化するのは(2)(3)(4)(7)の部分です。(1)(5)とED、スタッフロールは全キャラ共通になっています。そして、ゲームでは(6)が描写されていません。ゲーム中における「えいえんのせかい」の描写は、(5)のステップが完了した時点で終わりになっています。このことを乱暴に図式化したのが、<ゲーム中のシーン描写順番>です。プレーヤーの涙を誘うことになったのは、上出の(4)から(7)の部分だったと思われます。「感動系」という単語が使われる場合には、この部分のことを指しているのでしょう。
社長:(6)が抜けている理由はどう考える?
企画:この部分の説明・描写をプレーヤーに委ねたのでしょう。実際にゲームの中で描写してしまっても良かったのかもしれませんが、そこまで饒舌になる必要も無いでしょうし(*78)。それに、(4)を迎えた瞬間にEDを挿入し、その後で(7)へ進むのかタイトル画面に戻されるかの分岐を設けていることは、プレーヤーに対して緊張感を与えるというゲーム的な効果を持っています。言うなれば、折原浩平が現実世界へ戻って来れるのかどうか、プレーヤーはハラハラドキドキしながら待たなければならない(*79)わけです。主人公に対する感情移入度が高いゲームですから、その緊張感はかなりのものがあると思われますね。
社長:なるほど……。
営業:……総務部長、何か言いたげですね。
総務:それはあります。ゲームのシーン描写順番やエンディングの配置は見ていて面白かったのですが、やはり(6)の描写が欠落しているというのがいただけませんでしたな。
社長:どのように問題だと感じたのかね?
総務:「折原浩平がどうやって現実の世界に戻って来たのか」という、非常に重要な情報を書かずに放置してしまっているのです。そのため、女性との再会を果たしたとしても、その時の感動が薄れてしまうのです。
企画:今のままでは不十分だったのですか?
総務:不十分どころの話じゃありません。今のままだと、プレーヤーからは「デウス・エクス・マキーナ」(*80)によって、強引にストーリーがハッピーエンドに誘導されてしまったかのように映ってしまうんです。しかも、描写されていないのは主人公の視点から見た情報であり、その直前まで折原浩平から見た1人称プレーが続いてきた以上、本来ならばプレーヤーが知るべき立場にある情報でもあります。ですから、描写されるのが筋だと思うんですよ。それこそ、EDと(7)の間に挿入すべきだったと思うのですが……。
営業:肝心の部分の描写を敢えて飛ばす方法って、文芸では結構頻繁に用いられていませんか?
総務:それは認めます。認めます……が、それが行われるのは基本的に3人称描写の作品だったと思うんです。作品が1人称的な視点で描写されていた場合も、「私」が現場に居合わせていなかったから、問題の部分を描写したくてもできなかった……という体裁を取っていたと思います。こうすることによって、読者も肝心の部分が消失した状態で話が進むことに対して「ああ、これなら仕方あるまい」「残りは自分で考えるか」と納得し理解を示すことができるんです。しかし、『ONE』ではこの技法が1人称の描写で、しかも用いられるべきではない場所で使われているんです。
社長:総務部長の言いたいことは分かった。しかし、これは「自分好みの演出ではない」と言っているのと全く同義に聞こえるのだが……?
総務:それは間違いありません。『ONE』で用いられたこの描写に、違和感を抱いたのは紛れも無い事実なのですから。他にも、私が『ONE』の脚本や演出で違和感を抱いた個所はいくつかあります。
営業:どこなんですか?
総務:まずは主人公が「えいえんのせかい」を受容してしまったこと。それが現実逃避に感じられたのです。
企画:だから、「『えいえんのせかい』へ行かなかったシナリオが欲しかった」、ですか?
総務:ええ……まあ……。
企画:しかし、それは無理だと思いましたね。そのような修正を施そうとしたら、『ONE』のストーリー進行を根こそぎ変更しなければならなくなるのですから……。だから、「えいえんのせかい」に行ってしまったことは、当然の大前提として話を進めなければならないのです。それに、こうしたほうが女性達の魅力も引き立つと思うのですが。「えいえんのせかい」に行ってしまった主人公のことを信じてひたすら待ち続けるけなげで美しい女性達……という感じにね。
総務:まあ、それならいいでしょう。でも、それを認めても次の問題点は解消されません。……いや、むしろ「えいえんのせかい」に行ってしまったことを認めてしまったからこそ、余計にひどく感じられる問題があるのです。
営業:何でしょうか?
総務:ヒロインが主人公の帰還を待ち続け、主人公が女性キャラクターの絆を頼りに現実世界へ帰還する……一般には、そのように考えられていますよね?
企画:はい、そうですが。
総務:しかし、主人公と攻略対象キャラとの間にどうやって「絆」が成立したのか理解に苦しむケースが1つ存在するんです。
社長:長森瑞佳だな。
総務:その通りです、社長。残りの5人については、「絆」が成立するのに役立った事件や心情の変化がはっきりと描かれています。七瀬留美シナリオでは、相手の反対を押しきって2回目のセックスに及んだため、逆に「絆」が破壊される(*81)というサービスまでついています(^^;)。しかし、長森瑞佳のシナリオに限ると、どうも首を傾げざるを得ないのです。
社長:12月19日から1月4日までのイベントか。
総務:はい。いくら考えたとしても、「絆」の成立をまともに説明できないのです。「純愛系」という枠に囚われて、「まとも」な解釈を取り続ける限りは。
営業:あれ? だとすると、「純愛系ではなくまともじゃない」解釈ならできるんですか?
総務:はい。折原浩平がサドで、長森瑞佳がマゾだとすればすんなり片付くんですな、これが。で、彼女の存在が折原浩平の精神的成長を阻害したのが原因で、彼は「家族全員の喪失」というトラウマを克服することに失敗し、本来ならば回避可能であったはずの「えいえんのせかい」が成長し、そのまま向こうの世界へさよ〜なら〜というわけです。「絆」ですか? 一種の主従関係でも互いに相手のことを「思っている」のなら、それで十分でしょう。

 総務部長の言葉が終わると、会議室は異様なまでの静けさに覆われた。

企画:…………総務部長、長森瑞佳のファンがいなくて良かったですね(--;)。
総務:……はい。今、私もそう思っています(--;)。
営業:しかし、これだと陵辱物18禁ゲーム的なアイデアになってしまいますね。
総務:そうなんですが、「長森瑞佳と折原浩平は元からこういう人格の持ち主だった」と納得して論を組み立てないと、折原浩平が「えいえんのせかい」から帰還することを彼女のシナリオで説明できないんです。「ヒロインの人格が男性にとって都合良く作られている」という批判は、18禁ゲームに対しては頻繁に寄せられているのですが、この折原浩平と長森瑞佳という組み合わせに対しては特に多く寄せられていますからねえ……。
社長:それにしても、この総務部長の意見を推し進めると、「長森瑞佳こそが諸悪の根源」(*82)ということにならないか?
総務:ええ、私はさっきからそう言っているんです。

 会議室は再度重苦しい沈黙に包まれる。

企画:……………………瑞佳のファンがいなくて本当に良かったですね(--;)。
総務:…………全くその通りです(--;)。
営業:話を戻しますが、他に総務部長が『ONE』の脚本・演出で違和感を感じた場所というものはあるのですか?
総務:……いえ、他は枝葉末節ですので無視しても一向に構いません。


[11]「感動系」というレッテル

社長:分かった。では、営業部長。脚本から見た商品としての『ONE』はどうだった?
営業:完璧ですね。文句無しの仕上がりです。
総務:(T_T)それでは、私の立場は……?
営業:総務部長のようなお方もそれなりに存在します。「デウス・エクス・マキーナ」や長森瑞佳の「暗黒面」に関する論議など、『ONE』の持つストーリーに対して嫌悪感を抱く人間が一定数存在することは確かです。しかし、インターネット上では、こういった批判的な声は肯定派の意見──「『えいえんのせかい』と感動的な話を見て思わず泣いてしまいました」とか「みずか(*83)萌え〜」とかいうような声にかき消される運命にあるんです。ある事柄に対して「嫌いだ」と言うことよりも「好きだ」と言うことのほうが楽だから、ファンサイトや肯定的レビューを掲載するサイトが百出する一方で、アンチ『ONE』サイトや『ONE』について批判的なコメントを載せるサイトは数が限られるのです。そして、パソコン用ゲーム──特に18禁ゲームでは、インターネットで飛び交う意見がそのまま「世論」になってしまいます。18禁ゲームの会話なんて、サークルの部室か18禁ゲームショップの中、それとインターネットの中でしかできません(*84)からね。雑誌やTV、口コミなどによる「世論」が並存する家庭用ゲーム機ソフトとは、ここに大きな落差が存在します。
社長:その他には?
営業:『ONE』の場合、脚本そのものが素晴らしいことだけでも十分に商品価値があるのですが、「感動系」という単語を宣伝に生かせた点に注目すべきでしょう。
総務:宣伝?
営業:はい。『ToHeart』ではじめて登場した「感動系」というジャンルの表現ですが、これは高い宣伝効果があるんです。
社長:どうしてだ?
営業:まず、感動系と分類されるジャンルの作品は、原則として純愛系の作品に限られます。陵辱・鬼畜系の作品で「感動系」と称される作品は事実上皆無です。つまり、感動系であることは原則として同時に純愛系であることも満たしています。これが絶大なるメリットをもたらすのです。
企画:どうしてですか?
営業:簡単なことです! 18禁ゲーム雑誌の表紙(*85)にイラストが載り、秋葉原のパソコンゲームショップの店頭に、B1版の大型ポスターを貼る(*86)ことが可能になるんですよ! これを絶大なるメリットと言わずして何になるんです!?
社長:(--;)……なるほど。して、他には?
営業:感動系が純愛系に含まれることによって発生する効果の続きですが、感動系作品は、強烈な「萌え」感情を持つユーザーをより多く掴むことが可能になります。
総務:?
営業:純愛系18禁ゲームの場合には、自慰だの性欲だの言う前に、登場するヒロイン達に対する萌えを全てに優先させてしまうようなユーザーが多いのです。極端な言い方になりますが、「萌え至上主義」者が多数存在する、ということです。ここが陵辱系ゲームと非常に大きく異なります。そして、この萌え至上主義はゲームメーカーに対してメリットをもたらします。
総務:ほほう……それは一体何でしょうか?
営業:それは関連商品市場への道が開けることです。萌え至上主義者にとっては、ゲーム性やゲーム中の性描写よりも、まずは萌えの対象となったヒロインのほうが大事なんです。そういった人達の耳に、例えば「月宮あゆと鯛焼きと羽根をあしらった可愛らしいバスタオルが専門店で売られている」と吹き込んだらどうなると思います? 彼らのうち何人かは絶対にその商品を買いに行きますよ(*87)。そのついでに、その関連商品が限定生産だったら完璧ですね(^o^)。
企画:なるほど(^o^)。
営業:話を「感動系」に戻しますが、この「感動系」というラベルは更に別の効果を持っています。
社長:何だね?
営業:ここが単なる純愛系18禁ゲームと異なる点ですが、いわゆる感動系の作品では、ゲーム中に登場する18禁性──言い換えればエロさを低くすることが可能になるんです。はっきりと申し上げますけどね、『ONE』以降の一連のスタッフによる作品って、エロさという点では落第すれすれなんです。
社長:……ほう?
営業:セックス中のシーンが不十分なのは言わずもがなですが、それ以外の注目すべき点を御説明しましょう。まず、『ONE』では、ゲーム中にパンチラのようなサービスカットが1つも存在しません。あの『ToHeart』ですらサービスカットは満載されていた(*88)んです。『Kanon』『AIR』ではちょっとだけしか存在せず、事実上無いも同然でした。それから、『ONE』の次に出た『Kanon』『AIR』では、パッケージから18禁シーンやサービスカットが全面削除されてしまったんです。
総務:……本当ですか?
営業:はい。これは18禁ゲームとしては極めて異例のことです。『ONE』のパッケージには18禁CGも掲載されていましたけどね。……そして、こうやってエロさを低くすることによって、今まで「18禁」と聞くだけでソフトの購入を手控えていたような人間に、自分達のソフトを買わせることが可能になるんです。
総務:なるほど。
営業:金曜日にも申し上げましたが、パソコン用ゲームソフト市場では、「18禁」であることがゲームとして売れることの条件の1つになっています。その結果、「どうせエロいシーンを書かなきゃならないんだったら、そっちの描写に専門特化してコアなユーザーの心を掴んでしまおう」と考え、ハードな性描写を追及するソフト会社は当然現れます。SMをテーマした『SEEK』シリーズを作ったPILなんかはまさにこの好例でしょう。ALICE SOFTのように、「18禁だろうがなんだろうが、自分達がプレーして面白いと思うゲームを作ることに専念しよう」とマイペースを決め込む会社もあります。でも……。
総務:でも?
営業:次のように考えるゲームクリエイターだって当然存在します。「本当は18禁ゲームなんて作りたくない。しかし、家庭用ゲーム機向けソフトを作るには金が必要で、自分達にはそこまでの余裕が無い。だから、比較的安価で新規参入・商品開発が可能なパソコン用ゲームソフト市場に向かわざるを得ない。そして、パソコン用ゲームソフト市場でソフトを売る以上、不本意ながらも18禁シーンを入れなければならない」と。彼らの作り出すソフトは、その後ろめたさ故、18禁性が抑制された作品になる傾向が非常に強いのです。『ONE』のスタッフや現在のKeyは、こういった考えを持った人達によって構成されているんです。ここまではよろしいですね?
社長:うむ。……それで?
営業:同じことはパソコン用ゲームをプレーする人間にも言えることです。ある人はこう考えるでしょう──「パソコンゲームの中で面白い作品は、MicrosoftやKOEIなど大手の製品を除けば、全て18禁ゲームである。しかし、本音としては18禁シーンはできる限り見たくないし、見せられるとしてもその中身は軽めにして欲しい」と。また、別の人はこう考えます──「私が求めているのは心の底から萌えるようなキャラクターであり、それだけで十分である。その愛すべきキャラを過剰な性描写によって汚されるのは納得がいかない」と。……まあ、どちらにせよ、18禁シーンをできる限り抑制して欲しい、という心理は存在するわけです。ここで、ゲームクリエイターとユーザー、この両者の利害が一致するわけです。その先に生まれるのは、18禁シーンの描写を抑制し、エロをゲームからできる限り排除した18禁ソフト──まさに『ONE』や『Kanon』、『AIR』のような作品です。
社長:ただし、自分達のゲームはやはり18禁であり、18禁であるが故の道徳的な後ろめたさは存在する。そこで、「自分達が作ったり遊んだりしているソフトは他の18禁ゲームとは異なっており、自分達は他の18禁ゲーマーと違うんだ」と考え、18禁であるが故の道徳的な後ろめたさを軽減する必要がある……。
営業:はい。そして、「感動系」という言葉が使われるんです。
総務:事情は分かりました……しかし、これは根が深い問題ですな。
営業:念の為に付け加えますが、「感動系」という表現を多用するのは18禁ゲームユーザーとゲーム雑誌の人々です。ゲーム会社の方々が、そのような表現を表立って使おうとすることはあまり多くない──
社長:……ちょっと待て。「心に届くAVG」という『ONE』の宣伝文句はどうなるのかね? これは遠回しに「これは『感動系』の18禁作品です」と宣伝しているようなものではないか?

 得意げだった営業部長の表情が凍り付く。次に彼が口を動かすまでには1分を要した。

営業:…………のーこめんと(T_T)。
社長:あらら。
企画:(--;)……まあ、インターネット上で、「感動系」を標榜している人々とそれ以外の18禁ゲーマーとの間で口論が絶えないと言うのも理解できる話ですね。
総務:ええ。そもそも、この両者は「18禁ゲームに手を出している」という時点で同じ穴のムジナになっているのに、それを無視されるとなると、昔ながらの18禁ゲーマーは気分を害すること必至(*89)でしょう。
企画:「Win VS Mac」(*90)とか「PS VS SS&DC」(*91)といった論議を見ているような気分になりますよ、これは。
社長:不毛だ……実に不毛だ…………。


[12]難易度の適正水準

社長:次は『ONE』の難易度だが、これはどう考える?
営業:(溜息を吐いて心を鎮めてから)……はい、難しいと言えば難しいのですが、簡単と言えば簡単……といったところですね。
社長:それでは回答になっていないぞ。
企画:しかし、これは営業部長の仰る通りだと思います。
総務:(無言で首を縦に振る)
社長:どういう意味だ?
企画:まずは「簡単」とされる理由ですが、そもそも、受動的に選択肢を選ぶことによってゲームが先に進むというゲームシステムでは、否応無く難易度は低くなってしまうんです。極論になりますが、RPG・SLG・ACTとは異なり、この方式のゲームは必ずクリアできるんです。選択肢の数は有限個ですし、「誰がどう考えても正解はこちらしか有り得ない」という選択肢や、フラグ制御とは無関係の選択肢が存在するため、自分が選んだ道を全て紙にメモして調べていったら、必ずクリアできてしまうものです。
社長:それは「ゲーム」と言えるのか?
営業:人によっては「No」と答えるでしょう。しかし、いわゆるゲーム業界の流通ルートに乗り、ゲームショップで販売され、ゲーム雑誌で紹介されるのですから、その意味では「ゲーム」以外の何物にもなり得ません。
総務:続いて「難しい」とされる理由ですが、こちらは2つあります。まず第1に、理不尽な選択肢が用意されていることです。社長は長森瑞佳シナリオを除く5人分はクリアされているからもう御存知でしょうが、里村茜シナリオで登場した「右/左」や、七瀬留美シナリオへの進入には欠かすことのできない漢字テストの2つが槍玉に挙げられています。
社長:漢字テスト……あれは笑えたぞ(*92)
総務:はい。そうなんですが、自分で回答を入力したり選択できたりしたら楽でしたね。何しろ、あそこではセーブとロードを10回か15回繰り返しましたから(^^;)。こちらは笑い話で済むのですが、もう一方の「右/左」はちょっと反則っぽいかな、という気が……。
企画:あれは私も弁護する気が失せましたね……。
営業:続いて第2の理由は?
総務:これは萌え至上主義的プレー(*93)実践中の方が特に引っ掛かっていた点なんですが、長森瑞佳シナリオでは、12月19日から1月4日までの間、それまでの20日間とは全く正反対の言動を取らないと先へ進めなくなるのです。
社長:で、そのクライマックスがあのイベントか。
営業:しかし、あそこは1回親しげにプレーしてバッドエンドへ辿り着いたら、次は「正反対の態度を貫いて攻めてみよう」と考えるものではないんでしょうか? 19日のシーンは一応ヒントになっていました(*94)し。
企画:それに、所詮は有限の選択肢の組み合わせでしかないわけですからね。
営業:ええ。……まあ、どちらにしても、難易度が『ONE』の売上に影響を与えるわけではないですし。
社長:……待て、それは本当か?
営業:はい。おそらく、全くと言っても良いほど影響を与えないでしょうね。
総務:どうしてなんですか?
営業:先程から何度も話に出ていますように、ADVの難易度なんてたかが知れています。ただ、それ以前に──
社長:それ以前に?
営業:インターネットを捜せば分かりますが、正解の選択肢がどこかのホームページに全て掲載されてしまっているのです。ゲームに詰まったのならばそこを参照すれば全く問題ありません。したがって、難易度の問題は論議するだけ無駄(*95)ということになります。
総務:み、身も蓋も無い……。



注釈

マルチの製作者達の道徳的責任について突っ込んだ論議を交わす(*77)
 インターネット上ではどのくらい交わされているのだろうか?
 少なくても、私の大学のサークルの中では結構盛んに論議していたような気がするのだが……。

そこまで饒舌になる必要も無いでしょうし(*78)
 本文集参加者達が行ったIRCでの論議で、このような意見が飛び出していた。

プレーヤーはハラハラドキドキしながら待たなければならない(*79)
 ただし、このメリットは「バッドエンドでもグッドエンドでも、全く同じエンディングを見なければならない」というデメリットと背中合わせである。

「デウス・エクス・マキーナ」(*80)
 deus ex machina:ギリシャ語。ギリシャ劇で急場を救う為に突然舞台に現れる神のことを指すが、劇・小説などで急場しのぎの不自然な解決をもたらす人・物を指す為に使われることも多い。

逆に「絆」が破壊される(*81)
 このイベントから、「肉体関係だけが『絆』の強弱を既定しているのではない」ということが推測できる。
 それにしても、妊娠危険日を迎えた高校生相手にセックスをするのはいくらなんでもヤバイと思うが……。

「長森瑞佳こそが諸悪の根源」(*82)
 彼女の「えいえんは、あるよ」という発言が「えいえんのせかい」の顕在化に関与していると考える限り、この解釈から逃れることは不可能である……と筆者は考えている。また、長森瑞佳のほうに、罪悪感や「自らの存在・行為が折原浩平にとってネガティブに作用している可能性がある」と考えているだけの様子は窺い知ることはできなかった。
 考えてみれば、長森瑞佳のようなこういう人間のことを、人によっては「聖母」のような言葉で呼ぶのだろうが、こういう人間って現実世界には滅多に存在しないものである。それに、「聖母」の存在や「聖母崇拝」に嫌悪感を示す人間も少なくない。「聖母崇拝」という発想は、他力本願的な他者への一方的依存という側面も持っているのだから……。

みずか(*83)
 平仮名で書かれている点がポイント(^^;)。

18禁ゲームの会話なんて、サークルの部室か18禁ゲームショップの中、それとインターネットの中でしかできません(*84)
 ただし、同人誌即売会の会場と秋葉原の道端は除く。
 なお、サークル内での口コミというメディアは、18禁ゲームにおいて極めて重要である。私が所属していた大学のサークルの場合、最初に『ONE』をプレーした人間3名のうち2名が批判派に回るなど、「ギャルゲーにおける先輩」達がKeyの作品群に対して批判的なスタンスを取る人間だったため、サークル全体の意見がKeyの作品群に対して若干批判的になっている。ちなみに、この時の批判派のうち1人が筆者だったのは内緒、ということで(おい)。

18禁ゲーム雑誌の表紙(*85)
 SMチックなイラストを平気で表紙に掲載している18禁ゲーム雑誌も存在する。

秋葉原のパソコンゲームショップの店頭に、B1版の大型ポスターを貼る(*86)
 ただし、純愛系18禁ゲームの広告の隣に、下着丸出しの販促ポスターを店頭に飾っているゲームショップは決して少なくない。こういう光景を見ていると、「日本で最も公序良俗が乱れているのは、新宿歌舞伎町でもなく上野公園でもなく、実は秋葉原なのかもしれない」という馬鹿な発想がつい頭をよぎってしまう。しかも、一言にこの事実を否定できないところがゲーマーとして非常に悲しい(T_T)。

彼らのうち何人かは絶対にその商品を買いに行きますよ(*87)
 かく言う筆者も人のことはあまりとやかく言えない立場にある。「サボテンダー関連商品に2000円使った」なんて口が裂けても言えやしない(爆)。

『ToHeart』ですらサービスカットは満載されていた(*88)
 一番有名なのは宮内レミィのパンチラシーン。ここでは彼女の下着の色が複数種類用意されていたらしい。

昔ながらの18禁ゲーマーは気分を害すること必至(*89)
 この点に関する筆者の見解だが、陵辱系・鬼畜系の描写をゲーム中から排除していない作品のほうに、ゲームとして楽しめる18禁ソフトがより多いことを理由に、「陵辱系・鬼畜系18禁ゲーム大歓迎(爆)」という立場を取っている。なお、前出の『D+VINE[LUV]』でも、SMを思わせるシーンが2回登場していた。

「Win VS Mac」(*90)
 電脳空間で行われる不毛な論議の1つ。「MacintoshとWindowsのどちらが優れているか」が論議の争点。実際のところは「ビル・ゲイツ信者とその他大勢が繰り広げる喧嘩」に過ぎないらしい……。

「PS VS SS&DC」(*91)
 電脳空間で行われる不毛な論議の1つ。「Play StationとSega Saturn(後にDreamcast)のどちらが優れているか」が論議の争点。しかし、その実態は「熱狂的なセガ信者と、それを冷ややかに見つめるその他大勢による痴話喧嘩」。

あれは笑えたぞ(*92)
 迷文句「うーろんがましい」はこの漢字テストから生まれている。

萌え至上主義的プレー(*93)
 ストーリーや設定等のことを一切考えずに、ヒロインとべったりラブラブな行動を延々と選び続けること。ちなみに、『AIR』の遠野美凪シナリオでも、このプレーを実践するとバッドエンド行きとなる(その代わりに18禁シーンの閲覧は可能になるのだが……)。

19日のシーンは一応ヒントになっていました(*94)
 ここに気付くかどうかはプレーヤーの文章読解力の高さに依存している。

難易度の問題は論議するだけ無駄(*95)
 2000年1月6日から2000年1月20日までインターネット上で実施された『ONE 〜輝く季節へ〜』に関する意識調査によると、『ONE』の難易度に対する個別評価と『ONE』に対する総合評価(10段階)との相関関係は一切存在しないとの結論が出ている。
 なお、RPG、SLG、ACTでは、ゲームの難易度がレビュー時の重要な論点となる。


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(1)(2)(3)/(4)/(5)(6)参考資料追記

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